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東海地方行脚の旅2

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 ブログを書くのが面倒で、今流行りの某AIに助けを求めたが、学生時代6年間を過ごした名古屋を7年ぶりに訪れた私の感情はAIにすくい取ることはできず。ならば細かく条件を与えてみたらどうかと思えど、それでも痒いところに手が届かない。では更に細かく条件を、とそんなことをするぐらいなら自らの言葉で語ったほうが早いかも知れぬと思い直して、結局自ら文章をしたためている次第である。

 7年の不在、これが8年ならちょうどW杯2回分であるが、7年間というのは中途半端に長い期間である。素数だし。17年または13年周期で大量発生するアメリカの蝉、素数ゼミのことを思い出した。なぜその周期で発生するのかというと発生周期が3年や4年の捕食者や寄生虫と同時発生しないためだという説があり、自然界に素数がこういう形で出現することにいたく感銘を受けたが、7年ぶりに名古屋を訪れる私は一体何から逃れようとしているのか。

 大学院を修了して、就職で上京してからの数年は、主に友人の結婚式のために1〜2年に1度のペースで名古屋を訪れていた。気づけば結婚ラッシュも落ち着き、そのラッシュに乗り遅れた自分自身に忸怩たる思いを抱いていたら7年もの月日が経過していた。

 ちょくちょく名古屋の近くまでは来ていたのだ。いや通り過ぎていたというほうが正確か。毎年秋口に京都で開催される京都音楽博覧会へ向かう新幹線の中で「名古屋」の駅名標を見るたびに、ふとここで過ごした月日が脳裏をよぎるものの、すぐその後には京都でやりたいことに思いを馳せていた。

 そのうち行かねば、の「そのうち」が積み重なって気付けば7年。コロナ流行による自粛を経て、昨年からは少しずつ国内旅行に行き始めた私、このあたりで青春の地、名古屋を訪れ、旧友らと久々の再開を果たすのもいいだろう。折しもドラマ『ブラッシュアップライフ』を見て「友達ってやっぱいいよね」という感覚を抱いた人生1周目の私は、こうして名古屋に行くことを決めたのだった。

 3月17日金曜日、観光列車しまかぜで伊勢から名古屋に戻ったのは18時前、名古屋駅構内のコインロッカーに荷物を入れ、すぐさまJRで豊橋へ向かった。1週間の勤務を終え帰宅の途につく疲れた顔の会社員らに混じり、それ以上に疲れた顔で電車に揺られること1時間、伊勢湾と三河湾の二つの湾を跨いだ先には、初めましての豊橋と久しぶりの友人。大学の入学式で隣に座っていた彼に私が話しかけたことから始まった関係が今の今まで続いている。ど田舎から出てきてなんとか友達を作りたいという焦りが、コミュ障の私にここまで大胆な行動を取らせてしまった。高校生までの私はいわゆる優等生キャラで、前述のブラッシュアップライフで言うまりりんタイプ(未履修の方ごめんなさい)、友達が決して多いわけではなく、大学生活は友人に囲まれた素敵なキャンパスライフを、と意気込んでいたわけである。1年生になったら友達100人できるかな、のあれを小学校ではなく大学の1年生で実現しようとしていた。

 大学入学時、軽音楽部かサッカー部かで迷っていた私が軽音楽部に入部したのも、この日会う彼が偶然軽音楽部に入ることを決めていたからだった。その後、彼と一緒にバンドを組んで名古屋の音楽シーンを席巻し、レコード会社から声がかかったこともあった、というのは明らかに記憶の改ざんだが、大学の第一食堂の地下にあったスタジオで練習を重ね、小さいステージの上で青春を垂れ流したあの時間は何事にも代えがたい。そんな彼と数年ぶりの再会、コロナ禍での近況と雑多な話題にアルコールが混じり、夜が更けていく。

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 名古屋への帰路は新幹線を予約していて、時間に間に合うよう解散した。

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 わずか20分程度で三度名古屋着。金曜の夜、名古屋駅前で明らかに飲み会帰りのサラリーマンたちとタクシーの列に並び、ようやく順番が回ってきて、車内で雨にけぶる名古屋の街をぼんやり眺めながら栄のホテルへ移動。なんとか日付が変わる前にチェックインを終えた。