日記なんかつけてみたりして

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水戸訪問(後編)

 何かやらなければならないことがあったような気がしていたが、これだ。このブログの水戸訪問の後編を綴るのをすっかり放置していたのだった。三月下旬に訪問してから激動の四月が過ぎ去り、いざゴールデンウィークでじっくりこの日を振り返ろうと思っていたところのゴールデンカムイ全話無料配信、私の心は茨城を越え北海道そして樺太を放浪していた。かくして水戸滞在二日目はベールに包まれたままであり、そのベールを開いてみたところで特段興味深いことがあるわけでもない。iPhoneのヘルスケアのアプリを開いてみると、この日は久々に2万歩超を歩いていたようだが、その歩数の多さに反して特に語るべきこともないように思える。行く先々で深い知見なりなんなりが得られたのであれば、長文を認める甲斐があるのだろうが、楽天マガジンに入っていた「るるぶ茨城」のモデルコースを駆け足で回ったところで、この記事を読むよりガイドブックに目を通したほうがいいのではないか。しかし、一日目を(前編)として公開してしまったからには(後編)も公開しないと気持ちが悪い。それに、「書く」という行為を通じてこの日に何らかの意味を与えられるかもしれない、とこうして五月中旬にようやくキーボードを叩いているわけである。

 そんなわけで、もはや一ヶ月以上前となったこの日の出来事を今更ながら振り返ってみることにする。前述の通り、朝から「るるぶ茨城」のモデルコースをなぞるようにひたすら歩いた。水戸城の大手門をくぐり、東照宮を訪れ、昼間の水戸芸術館のタワーを見上げる。前日から天気は回復し、行く先々で春の息吹を感じられるが、時折吹き付ける風にまだ冬の名残りが感じられた。

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 途中、るるぶに小さく載っていた「黄門さんおしゃべりパーク」を訪れた。街の一角に徳川光圀銅像が立っていて、隣の印籠のボタンを押すと話しかけてくれるらしい。一体どんな金言が聞けるのだろう、これからの私の生き方に影響を与えてくれるような素晴らしい言葉を是非、と期待しながら印籠のボタンを押してみる。……返事がない、ただの銅像のようだ。もう一度押してみるものの、やはり何も語ってはくれない。何度もボタンを押し、銅像を見つめる。見つめ合うと素直にお喋り出来ないタイプなのかと思って視線を外してボタンを押す。それでも沈黙である。時はコロナ禍、会話による飛沫の拡散について喋らないことで注意喚起を促しているのだろうか、さすが黄門様である。

 祖母が健在だった頃、実家のテレビによく映し出されていた水戸黄門、チャンネル権のない幼少期の私はいつも同じような勧善懲悪の展開に辟易しながら見ていたが、今となってはその微妙な違いに注目して楽しめるような気もする。

 黄門さんしゃべらずパークを後にして、偕楽園へと向かった。時刻は正午に近づいていた。その間、移動はずっと徒歩であり、午前中の段階で足が労働基準法違反を訴えている。偕楽園駅前の段差に座り込んで、コロナ禍で衰えた体を憂う。以前は海外旅行に行くと毎日2万歩超を歩いていたのに、こんなにも歩けない体になっていたのか。

 それでも少し休むとまた歩き出せるような気がしてくるのは昨日暴食した納豆の力か。立ち上がり、足に鞭打って偕楽園入り口への上り坂を上る。

 梅の見頃には少し遅く、桜の見頃には少し早い、という微妙な時期だったが、それでも偕楽園の梅は見事であった。さすがは日本三名園のひとつである。偕楽園の構内に、徳川斉昭が詩歌の会や茶会の場として設計した好文亭という建物があった。追加料金を支払い、建物の中へ。入場料を払って入った偕楽園の中でさらに入場料を負担する、サブスクの新作映画みたいな感覚だったが、その価値はあった。木造平屋建のどこか懐かしい雰囲気の中、様々な部屋を見て回る。圧巻は三階の楽寿楼で、千波湖を一望するその眺めに目を奪われた。都会の喧騒を離れ、ここで余暇を過ごせたらどんなにいいだろうと思うほどである。

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 偕楽園を出て、千波湖の畔のカフェで少し遅い昼食を取った後、バスに乗って茨城県庁へ向かった。

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 初めての場所でバスに乗るのは緊張する。前から乗るのか後ろから乗るのか、乗車券は取るべきか、Suicaは使えるのか。国が統一した見解を出してほしい。前に並ぶ親子連れに倣い、後ろから乗ってSuicaをタッチする。

 バスを降りて少し歩くと、目の前に茨城県庁がそびえ立っていた。

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 目的は上層階の無料の展望台、エレベーターで25階へ上がると、茨城県の壮大な景色が広がっていた。都内あるいは旅行先でいくつか展望台に登ったことがあったが、それらの景色とは違う素朴な茨城県の景色。高層ビルなどなく、家々がずっと奥まで並んでいる。電源付き休憩スペースがあり、勉強している学生がたくさんいた。こんな高いところで勉強していたら、さぞかし偏差値も高くなるのだろうか、そんなわけはなかろうが、それでもこんな環境で勉強できる学生たちが少し羨ましくもなる。私もしばし足を休め、読みかけの小説をこの茨城県庁の25階で読みすすめることにする。

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 少しずつ日が低くなり、夕日が茨城の街を赤く染めていた。私の短い水戸の旅も終わりである。

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 落陽を見届け、タクシーで水戸駅近くのホテルへ、預けていた荷物を受け取って常磐線特急ひたちに乗り込む。

 2021年都道府県魅力度ランキングで最下位だった茨城県だったが、二日間この地を満喫した。どういう基準でランク付けがされているのか分からないが、ランキングに惑わされず各々が自分の感覚で魅力度を決めればいい。そして、遠く海外には行けずとも、近場で非日常を味わうことは十分可能なのだ、ということを脳内の黄門様が語りかけてくる。

 常磐線特急ひたちはあっという間に上野駅に到着した。急に襲いかかる現実感、重い気分に水戸黄門のテーマソング『あゝ人生に涙あり』の歌詞が沁みる。人生楽ありゃ苦もあるさ。その後、怒涛の「苦」が襲いかかってくるのはまた別のお話。そろそろ楽したい。

水戸訪問(前編)

 三月の最終土曜日、お昼過ぎに私は常磐線特急ひたち11号に揺られていた。窓の外は曇天で、東京から千葉に入ろうかというところで窓に雨のラインがほぼ真横に入る。せっかく窓際の席を選んだのに車窓を楽しむことができない、と残念に思っていたが、雨はすぐ上がって、車窓にはのどかな風景が映し出された。

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 上野駅を出発してから約一時間後、私は初めて水戸駅に降り立った。

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 茨城県、というと、音楽フェスやネモフィラを見るためにひたち海浜公園を何度か訪れたことがあった。その際にいつも通り過ぎていて、納豆好きとしてなんとなく気にはなっていた水戸駅にこのタイミングで訪れることになるとは。

 数日前、Yahoo!JAPANのトップページに一枚の塔の写真が表示されていた。側面は三角形を組み合わせてできており、それを斜めに捻じ曲げて伸ばしたような奇妙な形のその塔の上方は青、下方は黄色にライトアップされていた。心の中の松田優作が「なんじゃこりゃ〜!」と叫んだ直後、画像をクリックし、それが「水戸芸術館」という建物であること、三月末までウクライナの平和を願って特別にウクライナ国旗の色にライトアップされていることを知った。

 最近旅行らしい旅行もしていないし、会社の福利厚生のポイントもたまっている。水戸芸術館を訪れ、納豆の聖地で納豆に舌鼓を打ち、偕楽園で春を感じるのもよかろう。日帰りでもできそうな近場だったが、ゆっくり一泊二日で訪れることに決めたのだった。

 事前に目をつけておいた駅ビルの中の「常陸野ブルーイング水戸」というお店で、茨城県のブランド牛「常陸牛」を使用したハンバーガーとクラフトビール飲み比べセットを頼む。ハンバーガーの美味しさは言わずもがな、普段はビールなどあまり飲まないのにこういうところで飲むビールのなんとうまいこと。ビールは誰といつどこで飲むかで味が変わってくる不思議な飲み物だと思う。今にも雨が降り出しそうな水戸駅前の広場を眼下に眺めながら、三種類のビールを行き来していると、アルコールが体に回り始める。九州男児ましてや鹿児島県は奄美地方の出身、普段はアルコールに強いはずの私がこれぐらいで酔ってしまっては、故郷の両親、親戚、友人らに合わせる顔がない。これはあれだ、このところ多忙を極め疲れがたまっていること、睡眠があまり取れていないことが原因であろう、と言い訳をこしらえ、お店を後にした。

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 駅の近くのホテルへと向かい、チェックインすると即ベッドに倒れ込んだ。そもそもこの日は天気が悪く、本格的な観光は明日にしようと考えていたので、罪悪感ではなく心地よい疲労感とともにしばし休むことにした。

 目が覚めるとすでに外は暗くなっていた。とりあえず、この小旅行の主目的であるライトアップされた水戸芸術館へ向かうことにした。水戸駅からは徒歩二十分、歩くには少々遠いがのんびり水戸の街を見ながら向かうのもいいだろう、と駅前から続く大通りを歩き始める。コロナ禍だからなのか、普段からそうなのか、午後七時を回ったところで通り沿いのお店はだいたいが閉まっていた。

 水戸芸術館のアートタワーの頭の部分、青でライトアップされた箇所が周囲の建物の上方から顔を覗かせた。近くまで来たようだ。水戸芸術館の広場の入り口の逆方面から向かっていたようで、敷地をぐるりと回る形になったが、その分、実際に塔を目にしたときの感動が強くなったような気がする。写真で見たとおり、青と黄色にライトアップされた水戸芸術館の塔が、落ち着いた水戸の街中に存在感を放って屹立していた。普段は展望室の見学も可能だが、コロナ禍でそれが中止となっていたのが残念である。それでも、ライトアップされてきれいに輝く塔を外からじっくり眺め、その姿を目に焼き付ける。世界の平和を願うばかりである。

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 駅へと引き返す途中、納豆料理で有名な「てんまさ」というお店に立ち寄り、納豆御膳を食べる。納豆オムレツイカ納豆、まぐろ納豆、梅納豆、納豆天ぷら、納豆汁、納豆オールスターズである。納豆嫌いの人からしてみれば地獄かと思われるお盆の上も私にとっては天国。小学生の頃、好き嫌いが多かった私がなぜか納豆は大好きで、給食の時間、納豆が嫌いな同級生たちから納豆をもらい、パックをトレーの上に積み上げ、水戸城の城壁を築いていたことを思い出す。日常的に納豆を食べ続けてきた。自分の誕生日が納豆の日、7月10日でないことが残念だった。織田裕二Love Somebody』の曲中で繰り返される「never」が「粘(ねば)〜」に聞こえて仕方がなかった。人間の体重の60%は水分だと言われているが、私の体重残り40%はナットウキナーゼなのかもしれない。今だに多少好き嫌いがある私が、会社の健康診断で健康体を維持できているのも、日本を代表する健康食、納豆の力によるところが多いのではないだろうか。今宵、ようやく聖地で納豆を食すことができ感慨深い想いでいっぱいである。

 たくさんの納豆たちを完食して店を出る。腸内の平和を願うばかりである。

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脂肪と郷土愛

 ゆっくりと12月のあかりが灯りはじめ、慌ただしく踊る街を誰もが好きになる頃、オミクロン株の恐怖が襲いかかろうとしていた。年末年始に四年ぶりの帰省を企てる私の脳内では、奥田民生が「今年は久しぶり田舎に帰るから」とあの名曲の一節を口ずさんでいたのだが、いつの間にかその歌声が、新規感染者数を告げるニュースキャスターの声に変わっている。

 2019年はスペイン、2020年はクロアチアで年始を迎え、さすがにそろそろ実家に帰らないと、と思っていた2020年春に新型コロナウイルスが流行り始め、2021年は初めて東京で新年を迎えた。ワクチン接種の効果か、2021年の暮れには新規感染者数が徐々に減少し、今回なら帰省できる……!と思っていた矢先の聞き慣れぬ五文字「オミクロン」、もうこれ以上、新しいギリシャ文字の知識を増やしとうない!

 じわじわと上昇する都内の新規感染者数は、それでもなんとか二桁にとどまっていた。これなら帰省できると思えど、鹿児島県のコロナの状況を確認して唖然、12月に入りずっと県内の新規感染者数ゼロだったのが、中旬に何と鹿児島県で唯一、故郷である沖永良部島に突然感染者が発生していた。一週間ほどかけて計11人の感染者、人口約1万2千人の島での感染者1人は、東京の人口に換算すると1千人超が感染していることになり、感染者1人でもはや緊急事態宣言のレベルなのである。これはもしかしたら東京よりも強い緊迫感が漂っているのではないか。事実、母親からの電話には島民の危機感が感じられ、故郷の友人たちと久々に黒糖焼酎を飲み交わす至福のひとときが遠のいていくようである。

 旅行に行けずとも陸でためたマイレージ、そのマイレージを大量に消費して予約した航空券をキャンセルすることなく、帰省する12月29日を迎えたが、果たしてこのタイミングで帰省するのは正しいのか否か、そんな想いを抱きながら羽田空港へと向かう。凍てつく寒さからしばし逃れられる、という高揚感よりも、自分がコロナを持ち込みやしないか、逆に島で感染するようなことはないだろうか、という不安のほうが強い。それでも、機体が宙に浮いた瞬間、久々の旅行気分を味わっている自分がいた。窓の外には富士山、初夢でまたお会いしましょう。

 羽田から三時間かけて那覇へ、乗り継いで一時間弱で沖永良部島に到着する。飛行機の窓から見える故郷は雨にけぶり、私を歓迎する素振りが全く見られない。ナイキのエアフォースワンで踏む四年ぶりの沖永良部の地は、雨に濡れる沖永良部空港アスファルトであった。

 迎えに来てくれた父の、深く刻まれた皺や、染めるのをやめてしまった頭髪に老いを感じる。父親というより祖父の顔。弟に四人目の子供が生まれたことも「じいじ感」を助長させているのだろうか。前回帰省時には小学二年生だった弟の長男は六年生となった。幼少期の四年間はとてつもなく長い期間で、甥っ子たちからしてみれば私は、年始に会うとたくさんのお金を落としてくれるレアキャラなのかもしれない。

 父の運転する車から外を眺める。道路沿いの歩道にソテツの木が植わっていて、その向こうに田畑が広がっている。その景色は、昔と変わっていないはずなのにどこかよそよそしく見える。

 高校を卒業するまでの18年間を島で暮らした。高校がかろうじて一校だけある小さな島で、高校卒業後は就職・進学のためにほとんどの人が島を離れるが、その後結局Uターン就職する人も多い。「将来は島に帰るの?」島を離れてから幾度となく浴びせられたこの質問に私は「帰る予定はない」と即答していた。コンビニもマクドナルドもショッピングモールもない島での生活は退屈で、テレビに映し出される都会へのあこがれが退屈さを助長させた。良くも悪くも牧歌的な空気の中にあって、特に志望校を目指して勉学に励んでいた受験生の時分は周囲とのギャップを感じていたのかもしれない。私のベクトルは完全に島の外へ外へと向いていた。ちょうど反抗期真っ只中の頃に島を離れたことも関係しているのだろうか、思春期特有の、親と接するのが煩わしいような気持ちがずっと続いている私は、ホームシックなど抱いたことがなく、地元への、そして実家への執着心は全くなかった。

 数年前に祖母が倒れ、入院生活が始まった後は、これが最後になるかもしれないと年に一度は帰省するようにしていた。90歳を過ぎ、大往生を遂げた後は、また凧の糸が切れてしまったように実家を気にかけることなく、都心での生活を謳歌し、年末年始の休みは海外に飛んだ。

 一部、新型コロナウイルスの影響もあるとは言え、四年間の不在は長すぎた、と思う。懐かしさと、違和感と、疎外感と、様々な感情が混ざりあった形容しがたい想いを抱きながら、父の運転する車に揺られ、感情まで揺さぶられる。

 空港から30分ほどかけて、実家に到着した。母と、近くに住んでいる弟と再会する。冷蔵庫に貼られた健康情報、無造作に置かれている相田みつをの詩、全盛期のGLAYのポスター、家中に点在する稲中卓球部の漫画本、そういった一つ一つが無性に懐かしい。

 大晦日、そして元日と、親族が私の実家に集まり、畳部屋の重厚なテーブルの上には、寿司、すき焼き、焼き肉など私の大好物が並んだ。そして、この四年間で生まれた子供たちと初対面を果たす。気がつけば父方、母方の祖父母が皆この世から去っていて、こうして新しい命が生まれている、その生命のサイクルが繰り広げられる場面に私が不在であるという事実が寂しくもある。と同時に、自分が不在だとしても皆にぎやかに島の生活を送っているのだろうという安堵感もあった。

 年末年始の休みはあっという間で、箱根駅伝の往路が始まった1月2日、私は一足先に東京への復路についた。親の運転する車で空港へ向かう。窓の外の田舎の風景と、老いた両親。島の風景は全く変わっていないように思えるけれど、そこに暮らす人々は着実に年老いていく。景色が変わらないからこそ余計に、人の変化を痛感してしまうのだろうか。そして、実家をほとんど気にかけることのない私は、「老い」や「死」から目をそらし続けているのではないか。

 沖永良部空港の空は断続的に雨が降る悪天候で、また私を送迎しようという気が全くない。見送りに来てくれた両親と別れ、手荷物検査を終え、狭い待機場で待つ。

 滞在中、子どもたちに囲まれ、にぎやかに暮らしている家族を見て、自分一人が無理に帰省しなくてもいいだろう、とふと考えた。それでも皆、私の帰省を喜んでくれ、滞在日数の短さを残念に思ってくれる。私は紛れもなく家族の一員であり、ここにいることが求められているのだ、という実感は四年という長い不在があったからこそ感じたことなのだろうか。これまでも、そしてこれからもずっとその最中にいると思っていた反抗期のようなものから、ようやくここで抜け出したような、そんな気がした。

 40人乗りの小型旅客機が離陸する。窓の外には、海岸線に打ち寄せる波、区画整理された田畑、点在する低い建物、そのどれもにうっすらと灰色の膜がかかっていた。祖母と両親と弟と五人で暮らしていた記憶の中の島の景色、自然の原色を伴って思い出されるその景色とは対照的である。いつの間にかずいぶん遠くまで来てしまった。「将来は島に帰るの?」と内なる声が私に問いかけ、私は相変わらず「帰る予定はない」と即答する。だが、それで本当にいいのだろうか。少し後ろ髪をひかれる思いで、他の同級生と同じように島に戻って暮らす自分の姿を想像してみる。

 その思いを断ち切るかのように窓の外の景色は後方へと追いやられていく。気がつけばもう海しか見えない。

ワクチンクエスト 〜そして多摩地区へ〜

 新型コロナウイルスのワクチン接種券が届いたのは六月末のことだった。これで私は2021年の夏を心置きなく楽しむことができる。脳裏に浮かぶのは青い海、白い砂浜、打ち寄せる波。真夏の大冒険を思い描きながら、ワクチン予約開始の日時を待った。

 私の住む都内某区の予約受付開始は7月26日(月)14:00で、接種開始はその翌日からであった。悠長に構えていたせいか、少し遅れて予約サイトを開いたときには「予約は満枠になりました」という一文。キャンセルが出たら予約できるかも、と思い、日をおいて何度もサイトに入ってみるものの、空きが全く出ない。予約できないままどんどん時間が経過していき、私の脳内にはシャ乱Q『シングルベッド』が流れ始める。

――恋は石ころよりもあふれてると思ってた なのにダイヤモンドより見つけられない

 はたけの感情的なギターソロがこんなにも胸に響いてくることがかつてあっただろうか。新型コロナウイルスのワクチンは誰でもすぐ接種できると思ってた、なのに全くその気配がない。

 八月に入り、新規感染者数が急増、デルタだかラムダだかシロタだかよく分からない株の名前を目にするようになる。謎の横文字は総じてこちらの恐怖心を煽ってくる。社内でも感染者がぱらぱらと出始め、夜、シングルベッドの上で恐れおののく私。

 早く打ちたい。

 もう居住する自治体に頼っていられず、なんとか早く打てる方法をSNSで模索し始めた。そんなとき、多摩地区でワクチン接種対象者を拡大したという情報を入手した。対象者について、ウェブサイトには以下のような記載があった。

――多摩島しょ地域、東京23区内で営業を行う中小企業の経営者、従業員、個人事業主等の方々が対象となります。(筆者注:現在は再び対象者が制限されている可能性があります)

 東京23区に対象を広げてくれたことに感謝する一方で、果たしてその後の条件に私は合致するのだろうか、という疑問を抱く。私が所属する企業は中小企業なのか。連結で考えると大企業に属するような気がするが、単体では職域接種の最低2000回(1000人×2回接種)に達していない。職域接種が行われなかった、すなわち中小企業という認識を持って、予約を進めようとしたが、もう一つ「営業を行う」という言葉も気になった。私は事務職であるが、これは会社として東京23区内で営業活動を行っていればよかろう。拡大解釈に次ぐ拡大解釈で、私はとにかく予約を完了したのである。

 サイトの申請フォームには属する企業名と電話番号を入力する欄があった。もし多摩地区のワクチン接種センターから「おたくの社員、対象者じゃありませんよ」と電話がかかってきたらどうしよう、という一抹の不安があったが、悪いのは私ではなく曖昧な基準、いや、なかなかワクチンを行き渡らせることができない自治体、いや、新型コロナ対策に後手後手の政府、いや、発生時に然るべき対策を行っていなかった某国……。RPGを進めるにつれて敵が強くなっていくように、考えれば考えるほど脳内の怒りの矛先も個人ではどうしようもないレベルになってしまうので考えるのをやめて、接種の日をおとなしく待つことにした。

 8月14日(土)の接種日、とりあえず五体満足、新型コロナウイルス未感染(恐らく)の状態でこの日を迎えられたことに喜びを感じる。接種会場へ向かう前に近所の薬局にワクチン接種後の解熱剤を求めたところ、カロナールを小分けにして処方してくれた。準備万全である。

 予約するに至る時間も長ければ、会場への移動時間も長かった。自宅から一時間かけて接種会場へ向かう。ワクチンを接種できるまでのあれこれが私にとっての真夏の大冒険、ワクチンクエストであった。

 多摩センターの駅で下車し、接種センターへ。予約時刻の15分前に入場し、受付、診察、接種、待機、退場と流れるように終えた。会場に着いてしまえばあっという間である。

 とりあえず一度目の接種が終わり、少しの安堵とともに会場を後にする。

 接種会場の近くにはサンリオピューロランドがあった。二度目の接種を終えた暁にはその開放感からここに足を踏み入れてしまいそうである。

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 そして接種から一日が経過。腕の痛みが気になるが、この記事を綴るほどの余裕はある。

2021年1月1日、東京

 もしもコロナがなかったら今頃旅行に行っているのに、もしもコロナがなかったら今頃友人と飲みに行っているのに、もしもコロナがなかったら……。思い返してみれば、たくさんの仮定法過去を並べた一年だった。そんな2020年の年の暮れも、私はあいも変わらず現在の事実に反することを想定し、叶うことのない願望を抱いていた。もしもコロナがなかったら、三年ぶりに帰省して家族と久しぶりの再会を果たせたのに、と。

 昨年、一昨年と、年末年始は海外を放浪していて、今回こそは帰省しなければ親に勘当される、と思っていたのに、帰省したら親に勘当される事態になってしまった。人生で初めて、東京で迎える新年。どこにも行けないのであれば東京でしかできない、これぞ東京の年越しというのを体験してやろう、とマスクの内側で鼻息を荒くしてプランを練っていた。

  大晦日、お昼すぎに一泊分の荷物を持って家を出た。自宅から羽田空港まで50分、羽田から香港まで5時間10分、香港からローマまで13時間、ローマからドゥブロヴニクまで1時間20分、単純な移動時間だけ考えると、20時間20分かかる場所で年越しを迎えた前回と比べ、今回は移動時間わずか30分である。近所のバス停でiPhoneをいじっていると、都内の新規感染者数が1,000人の大台を突破したという衝撃のニュースが目に飛び込んでくる。

 新型コロナウイルスが蔓延する東京の街を見ながら、バスに揺られる。行き先は、GoToトラベルキャンペーンを利用して予約していた某ホテル、半月前にキャンペーンが停止となり、現地で追加費用を支払うことになったが、計画を変更することはなかった。結局一度も恩恵を受けることのなかった私に残されたのは、地域限定クーポンではなく大手を振ってこのキャンペーンを批判できる権利。このキャンペーンによってどれだけ感染が拡大したかは分からないが、人々の意識が緩んでしまったような気がする。

 この時期に都内ホテルに宿泊する私の行為も批判の対象となるだろうか。「ヒト対コロナ」のはずなのに、コロナに対する対策や意識のちょっとした違いで「ヒト対ヒト」になってしまうのがやるせない。

 浅草でバスを降りると、目の前に宿泊するホテルがそびえ立っていた。手の消毒と体温測定を終え、チェックイン、宿泊する22階の部屋へと移動する。カードキーを使って中に入ると、ツインルームのゆったりとした空間が広がっていた。カーテンを開けると、広く取られた三面の窓からは浅草の町が一望できた。そして、浅草寺の本堂と五重塔に挟まれるような形で正面に屹立する東京スカイツリー。自分専用の展望台で過ごしているような贅沢である。この一年、様々なレジャーを我慢してきたことを考えると、最後ぐらい許される贅沢であろう。GoToトラベルキャンペーンが停止となり、これまで宿泊してきたどのホテルよりも高くついてしまったが、それでも地元へ帰る交通費よりは安いのが滑稽でもある。鹿児島県は奄美地方にある離島、地元への距離は物理的にも精神的にも遠く、コロナ流行前からソーシャルディスタンスを取っていた。新型コロナウイルスは更にその距離を広げてしまったのだろうか、いや、時折受ける家族からの安否確認の電話はその距離を押し留めようとしているようにも思える。

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 非の打ち所がない好天だった。スカイツリーが西日に照らされ輝いたその後、空が徐々に暗くなってくる。日が傾くにつれ刻一刻と色を変える景色を見ていた。この景色の中にも、コロナに苦しんでいる人々がたくさんいるのだろうか。

 すっかり暗くなった空に抗うようにスカイツリーが点灯し、気がつけばテレビから紅白歌合戦が放送されている。そういえば紅白を見るのも三年ぶりだった。

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 宿泊は年末年始の特別プランで、広東料理・フレンチのコラボレーションコースに加え、臨時会場での年越しそばもついてきたため、紅白歌合戦の出演順を気にしながら度々中座、ついつい食べすぎてしまうものの、今年のカロリーは来年に持ち越さないという謎の理論を持ち出して自らを正当化する。そうこうしているうちに、テレビからは「ゆく年くる年」が放送されている。

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 一年前、クロアチアドゥブロヴニクの広場でカウントダウンをした。見知らぬ他人と密になるのが怖くなかったあの日。年が変わる瞬間、「アドリア海の真珠」と呼ばれるほど美しい街並みの上に花火が上がった。今回は、ただテレビ画面の中で芸能人が年が変わる瞬間を仰々しく飾り立てようとしているのを見るだけである。そして、年が明ける。窓の外を見ると、スカイツリーは自粛しているようにひっそりと闇に姿をひそめていた。

 午前6時過ぎにiPhoneのアラームが鳴り、目を覚ます。深夜まで長いことお笑い番組を見ていたため、睡眠時間は足りていなかったが、目覚めたその場所が初日の出スポットで、眠い目をこすりながら移動する必要はない。窓を開け、まだ眠りに包まれている浅草の町を見下ろす。誰よりも早く、リモートで浅草寺に初詣をする。

 スカイツリーの頂上付近はまだ夜の雰囲気を残していたが、ソラマチのあたりは橙色に染まっていた。寒さと密を避けた状態で、その瞬間が訪れるのを待つ。スカイツリーの右側、墨田区役所のあたりから太陽が顔を覗かせる。強烈な光に目を細めながら、ここからまた新しい年が始まるのだ、という強い実感を抱く。

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 地元で、旅先で、ここ数年は毎年どこかで初日の出を拝んできた。特に信心深いタイプではないけれど、すっかり習慣となってしまったこの行為をコロナ禍でもなんらかの形でできないだろうか、と考えていた。茨城県大洗海岸や、千葉県の犬吠埼など、様々な候補地を検討してたどり着いた結論がここだった。もしもコロナがなかったら、とまた私は仮定法過去を並べる。こんな形で、東京で、初日の出を見ることはなかっただろう。

 2021年がどんな一年になるのかは分からない。まだまだ新型コロナウイルスはしぶとく我々の生活を苦しめるだろうけれど、この状況だからこそ楽しめることを楽しみたい。

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 太陽は地平線から完全に姿を見せ、東京の街をしっかり照らしていた。太陽がスカイツリーよりも高く昇る前に空腹を覚えて、ホテルのレストランへ向かった。元旦にして2021年で一番豪華になるであろう朝食を食べる。

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 食後、部屋に戻り、また窓の外を眺める。私が上京してきた14年前には姿形もなかった東京スカイツリーが、雲ひとつない青空を背景に立っている。東京を象徴する建物と言えば、どうしても東京タワーを思い浮かべていたけれど、気がつけば東京スカイツリーも私の東京生活の一部になっていたのだと実感する。そして、今回の年越しの体験もまた、今後どれだけ続くのか分からない私の東京生活におけるスカイツリーの存在感を強めることになるだろう。

 窓際から離れ、ベッドにダイブする。さすがに眠い。チェックアウトの正午ギリギリまで惰眠を貪ることにした。初日の出、拝んだ後の、初二度寝。食べてすぐ寝て丑になって、そんなこんなで私の2021年が始まった。

本棚劇場

「やっぱり本は紙派ですか?」

読書好きの人から度々受けるそんな問いかけは「紙派です」という答えを期待しているようで、いつも僅かな後ろめたさを抱えながら「電子書籍派で……」と答える。読書好きは概して紙の本が好きなのだろうか、読書好きを自負しているものの電子書籍派の私はマイノリティーなのか、もしかして私は本当は読書好きではないのだろうか。

電子書籍が好きな理由は、場所を取らないし、荷物にならないし、語句検索もできる、そういったことが理由だが、紙派の方々もこれに負けない利点を数多く挙げるのであろうし、私もそのいくつかには、というかほとんどに納得するだろう。それでも私が電子書籍派だと言い張るのは、結局、これまで自分が本と接してきた経緯が深く関わっているのだと思う。

鹿児島県の離島で生まれ育ち、大学入学時に名古屋に移り住み、在学中に香港へ留学、名古屋に戻り大学院を修了後、就職で上京した際には千葉県の寮に住み、現在は東京に居を構えている。引っ越しのたびに荷物を減らす必要があり、特に直近二回の引っ越しの際は、たくさんの蔵書を前に途方にくれた。新居へ持っていく本を選ぶことは、処分する本を選ぶことである。読みたい、と思って購入し、ワクワクしてページをめくったときの感情ごとブックオフに売り飛ばす。支払われる金額は、手切れ金としてははしたない金であった。

引っ越しを繰り返し、今住んでいるところも仮初の場所、という意識がある以上、本の増殖をなるべく抑えたい。そんな私に手を差し伸べてくれたのは、夜空をバックに丘に腰掛け横を向いて本を読むシルエットの少年であった。Kindleのアプリ。いつしか私はAmazon電子書籍を購入し、iPadiPhoneKindleアプリで本を読むことが多くなった。

ただし、書店で見かけたサイン本や古本、そもそも電子化されていない本などは紙で購入することになり、結局は部屋の隅に無造作に積まれた本の山が隆起を繰り返している。また引っ越しのときに苦労することになるぞ、と本の山を視界の隅に捉えながらこの文章を打っているけれども、一方で本に囲まれた空間に対して憧れを抱いているのも事実。その本の山はKindleのアプリに列挙される本のリストよりも雄弁に自らの存在を主張する。未読本は早く読まれることを所望し、既読本はまるで私の知識が具現化したような顔をする。とにかく自分の読書歴の過去と未来がそこに塊として存在しているような印象を受けて、それはiPadiPhoneなどの媒体の中にしか存在しえない電子書籍とは佇まいが全く違う。

通勤時、会社とは反対方面へ向かう空いた電車に乗って遠くへ行きたい、という願望を抱くことが時折あって、12月中旬の水曜日、私はその背徳心の塊のような行為をしていた。「背徳心の塊のような」であり、塊そのものではないのは、きちんと有給休暇を取得していたからで、とは言え残してきた仕事に少し後ろ髪を引かれる心地ではあった。

電車は都心を離れ埼玉県へ入る。電車を乗り継いで目的地付近まで来たときには、車窓からのどかな景色が広がっていた。

あるツイートに添付された画像に目を奪われたのはその半月前のことだった。広角カメラで撮ったと思しきその写真の中央には、マスクを付けた女性がスカートを翻し、その女性を取り囲むように巨大な本棚が並んでいた。いつか行きたいと思っていたドイツのシュトゥットガルト市立図書館の美しい映像を思い返し、どこの国のなんという場所だろうか、とツイートのリプライを確認してみると「角川武蔵野ミュージアム」という日本語の名称が飛び込んでくる。その角川武蔵野ミュージアムという建物の中の「本棚劇場」というコーナーらしい。Google Mapsで自宅からの所要時間を確認すると約1時間、行くか行かないか、という選択肢はもう消え去っていて、いつ行くか、という時期の問題だけがあった。そして、有給休暇とチケットの両方が取得できた12月中旬に、そこへ向かう電車に揺られている。

東所沢の駅で降りて、地図を頼りに約10分、どこにでもあるような住宅街を進んでいくと、突如目の前に現れる巨大な石の塊、隈研吾が設計した角川武蔵野ミュージアムが目の前にそびえ立っていた。入口を探して建物の周りをぐるりと回ると、それにつれて巨大な石の形も変わる。それを意図しての入口の分かりづらさなのか、と思うほど多面体のユニークなデザインに圧倒される。

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開館時刻の午前10時前に到着したのは、密を避けるため、ということもあるが、本棚を独り占めしたいからでもあった。考えてみれば、コロナ流行前から密を避ける生活をしてきたような気がする。本を読み、楽器を演奏するなど、一人で完結する趣味がたくさんあって、ステイホームが苦にならない性分である。開館前ではあったが、入口前にはすでに数人が列を作っていて、適度な距離を保って自分もそれに加わる。

午前10時、開館と同時に早足で入場、エレベーターに乗り、真っ先に目的の本棚劇場がある4階へと向かった。本棚劇場へ向かう通路の両側にも、不規則な形で本棚が組まれ、その入れ物に合わせて本は気ままに並んでいるようであり、その実テーマに沿っている。その雑然と整然の融合を堪能するのは後にして、歩みを進める。

通りを抜けたところに目的の空間が広がっていた。

中央に立ち、周囲をぐるりと見回す。本、本、おびただしい数の本が天井までぎっしりと並んでいた。

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読書が好きで、様々な本を読んできたという自負があるけれども、数多くの未読の書物に囲まれ、自分があまりにも無知であることを痛感する。そして、管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』の一節を思い返す。

――すべての人間は根本的に無知であり、どの二人をとっても共有する知識よりは共有する無知のほうが比較を絶して大きいのだから。

心のどこかで、本を読む人と読まない人との間にボーダーラインを引いていたような気がする。だけど、この空間にいて、その線引が無意味なものだという感覚が湧き上がってくる。その感覚は、電子の海を漂う膨大な文字の数々からはなかなか得られない、おびただし数の物体としての紙の本からでしか得られないものだという気がした。

これから先の人生、ほとんどの時間を読書に費やしたところで、どれだけの知識を得、知恵を養うことができるのだろうか、という絶望感と、それでも時間が許す限り読んでいたい、という決意のようなものを抱いて、その場を後にした。

天気は良かったけれど、寒さが厳しい日だった。東所沢の駅のホームで武蔵野線を待ちわびる。

ようやく到着した電車に乗り、空いている座席の一角に腰を下ろすと、iPhoneKindleアプリを開いて読みかけの小説を読んだ。 

京都音楽博覧会2020

今から遡ること5年、2015年の出来事といえば、世界各地でイスラム過激派のテロが発生し、ギリシャ金融危機が起こり、国内では安全保障関連法案が成立していたが、その裏でひっそりと私の京都音楽博覧会(以下「音博」)初参加という重大な出来事が起こっていたことはさほど知られていない。この年、音博はシルバーウィークと重なっており、それまでライブを見るためのいわゆる「遠征」に少し抵抗のあった私が、5連休であれば観光のついでに楽しむ形で参加してみよう、と重い腰を上げたのである。その時歴史が動いた

学生のときに旅行で訪れて以来久々の京都、初めての梅小路公園、京都の広い空の下で聴くくるりの音楽は、東京のライブハウスで聴くのとはまた違う居心地の良さがあって、それ以来、毎年この時期に音博のために京都を訪れることになった。音博の終盤、『宿はなし』の最後の和音が京都の夜空に吸い込まれて、寂寥感とともに暑さを失った風が吹きすさぶその瞬間が、ここ数年の私にとっての秋の始まりだった。

 

2020年、新型コロナウイルスは少しずつ着実に日本中に蔓延し、この京都音楽博覧会も開催が不透明なまま月日が経ち、結局オンラインでの開催となった。このイベントのためではないけれど、たまたまパソコンを買い替え、モバイルWi-Fiから光回線に切り替え、京都には行けないけれど東京の自宅で音博を楽しむ準備は万全の状態で、当日の9月20日を迎えた。

MacBookRetinaディスプレイに映し出される映像とワイドなステレオサウンドは、僅かながらリモートであることを忘れさせてくれた。ゲストアーティストを迎えての岸田繁楽団、そしてくるりの演奏を聴きながら、例年音博の前後に京都を散策したことを思い返す。引き返すタイミングが分からず結局登頂した稲荷山、京都駅ビルの空中径路から見る京都タワー、鴨川デルタを見ながら食べる出町ふたばの豆餅、鴨川の河川敷に等間隔に並んでいくカップル、24時に京都タワーのライトが消える瞬間、それらを思い出すとき、頭の中にはいつもくるりの音楽が鳴っている。MacBookのステレオから聴こえてくる『さよならリグレット』も、『京都の大学生』も、『Liberty & Gravity』も、どの曲も私の京都滞在を彩ってくれた。そんな感傷的な気分を一発で吹き飛ばす『益荒男さん』、彼らにしか作れないんじゃないかと思うような奇妙奇天烈摩訶不思議なこの曲と、同じく新曲の『潮風のアリア』はこれから先、生で聴く機会を期待してしまう、コロナ後の世界へと自分を突き動かしてくれるような気がする。

コロナ禍で、余暇の過ごし方も働き方も変わってしまった。音楽との向き合い方もまた同じく変わってしまったが、それは決して悪い方向だけではないのかもしれない。いつも休みが合わず音博に参加できないと言っていたくるりが好きな私の担当美容師さんは初めての音博を楽しむことができただろうか。コロナ後は、会場で楽しむ人、オンラインで楽しむ人、自身の都合に合わせて柔軟に楽しめるダブルスタンダードなライブになっていくのかもしれない。

そして今年も、最後の曲『宿はなし』が終わる。京都の空も、吹き付ける風もない、自宅。画面には「来年は梅小路公園でお会いしましょう」の文字が表示されていた。当たり前だと思っていたことが失われてしまった今、来年の音博は音楽を生で楽しめることの尊さを噛みしめる時間になるような気がする。コロナが収まって、音楽との向き合い方が多少変わったまま世間が日常を取り戻しても、自分は変わらずくるりの音楽を聴き続けるのだろうな、と思った。