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京都音楽博覧会2022

 のぞみ213号は午前9時ちょうどに東京駅を出発、流れてくるアナウンスが懐かしく、前回新幹線に乗ったのはいつだろうと思い返してみるとそれは3年前、今回と同じく京都音楽博覧会(以下「音博」)のための東京・京都間の往復だった。

 ここ2回はオンライン開催、今回は3年ぶりに京都の梅小路公園で行われることとなった音博、数日前からウェザーニュースで当日の天気を都度チェックしては、変わっていく降水確率に一喜一憂していた。しかし直前となったこの時期は憂憂憂、と憂優勢。当初は夕方から降り始める予定だった雨が、音博開演のお昼頃から降り始める予定に変わっていた。オープニングアクトからしっかり見るつもりの雨雲である。インドア日本代表の私が、半日ほど雨に打たれて無事でいられるだろうか。ささやかな対策グッズと大きな不安を抱えて、私はすごい速さで京都へ移動する。

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 音博の前日の京都は曇天で、降らせる準備は万全、降水フラグが京都タワーと同じぐらい高くそびえ立っていた。

 音博の前後で行きたい場所リストが膨大なものになっていたので、京都タワーへの挨拶もそこそこに、駅前のホテルに荷物を預け奈良線に飛び乗った。

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 宇治で平等院鳳凰堂他を見て、宇治川のほとりのカフェで抹茶パフェを勢いよくかきこみ、京都市へ戻って清水寺へ。瞬間移動でも使えればという状況であったが、そんな教育を受けていないので、ひたすら急ぐ。本当はもっとゆったりした旅程でゆったり京都をゆったり満喫してゆったりしたかったのだが、3年分の私の京都への想いが積み重なり過ぎて、お笑い賞レース優勝直後の芸人みたいに分刻みのスケジュールになってしまった。

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 夕刻、京都の天気は回復していて、清水寺から京都タワーの向こうの山に沈む夕陽が綺麗に見えた。明日にコピペしたいぐらいの好天である。落陽を見届け、ホテルに戻ってビスケットブラザーズキングオブコント優勝を見届け、翌日の音博の全アーティストの熱演をしっかり見届けるべく早々に床についた。

 そして2022年10月9日、音博当日の朝。スマート珈琲店でたまごサンドを食べ、コレステロール値爆上がりの状態で梅小路公園へと向かう。

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 会場近くのたくさんのファンの姿を見て、ようやくこの場所に戻って来られたのだという感慨深い思いを抱く。これぐらいの数の人の強い思いがあれば、雨なんて降らないんじゃないか、そんなささやかな私の願望に対するは現代の天気予報の正確性であり、お昼過ぎ、約束されたように雨が降り始めた。ステージの上ではマカロニえんぴつが演奏していた。

 アーティストの演奏はどれも素晴らしかったが、いかんせんコンディションが悪く、時折強くなる雨が私の体温を奪っていく。体を温めようとホットコーヒーをがぶ飲みするも尿意を促すだけでもうどうしようもない。

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 Vaundy、Antonio Loureiro & Rafael Martini、SHISHAMO槇原敬之の熱演が終わり、HPが残り少ないボロボロの状態でくるり演奏の時間が近づく。くるり演奏の前にピース又吉直樹さんの朗読があった。音博直前に発表されたプログラムで、一体何を朗読するのだろうか、くるりの曲の歌詞か、自身の作った小説や詩の一節か、と思っていたら、くるりとの思い出に満ち溢れた日々を語ってくれた。氏の自伝的エッセイ集『東京百景』の中にある「日比谷野外音楽堂の風景」というエッセイを大幅に加筆修正したような、素敵なくるりとの思い出。きっとここに来ている観客も同じようにくるりの音楽が生活のすぐ側にあって、熱く語れる想いがきっとあるんだろうな、とか、もし今なくてもこれからそうなっていくんだろうな、とか、そんなことを思いながら朗読を聞く。そんな熱量もなくたまたまここに居合わせた観客もいるだろうけれど、それさえ優しく受け入れてくれるような梅小路公園の雰囲気を味わっていたら、又吉さんの朗読が終わって、軽く歪んだギターのアルペジオからくるり真夏日』の演奏が始まる。

 いつかのZepp Hanedaで初めて聴いた、儚い夏の情景が思い浮かぶこの曲のリリースを首を長くして待っていた。あまりにも焦らされたのでたぶん2〜3センチぐらい本当に首が長くなっていたかもしれない。なかなかリリースされないのでYouTube耳コピしていた方の弾き語りを聴いたりもした。ちょっと聴いただけで音を再現できるその能力が欲しい、瞬間移動の次に。音博当日の10月9日にようやくリリースされたこの曲を生で聴きながら、ここ梅小路公園で、全国から来ているくるりファンと聴くくるりの演奏はやはり形容し難い格別なものがあると感じていた。

 『東京』『ハイウェイ』『潮風のアリア』『琥珀色の街、上海蟹の朝』『ばらの花』『everybody feels the same』『太陽のブルース』『ブレーメン』『奇跡』と、一部朗読に出てきた曲をなぞるかのようにセットリストは進み、最後『宿はなし』で3年ぶりの梅小路公園での京都音楽博覧会が幕を閉じた。

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 冷えた体を引きずって、京都駅近くのホテルへ向かう。歩きながら、又吉さんの朗読にあったくるりとの思い出になぞらえるように、自身の思い出を振り返ってみる。全ての始まりは、大学の軽音楽部でくるりと出会ったことだった。そして、くるりコピーバンドを組んだこと、バンド名は「ぬるり」だったこと、学園祭にくるりが来たこと、大学の卒業アルバムにステージ上で演奏する虹色のシャツを着た岸田さんが写っていること(大学時代の思い出については過去の記事「くるりとのこと」を参照されたい)、『東京』を聴きながら上京したこと、東京で『東京』を生で聴いて感動したこと、岸田さんが日記に「初めて漫画から音楽が聴こえてきました」と書いていたので『のだめカンタービレ』を読み始めたこと、会社の先輩とバンドを組んでくるりをカバーしたこと、2014年のロッキンで岸田さんが変な曲やりますと言って演奏された曲が本当に変な曲で後になって『Liberty & Gravity』という曲名を知り気付けばやみつきになっていたこと、そのロッキンのダイジェスト映像がWOWOWで放送され私の斜め後ろ姿が映っていたがウォーリーをさがせの最終回ぐらい見つけるのが難しかったこと、一時期ライブ後にステージの上からくるりと観客の集合写真を撮っていたのでそれに映り込もうと2015年のビバラロックで前方の位置を確保したのにそのときは写真を撮らなかったこと、そのビバラロックで『ガロン』を演奏してコアなファン以外置き去りにするくるりが格好良かったこと、くるりが好きなので千葉県にある久留里(くるり)線の久留里駅に住もうと思ったけど会社まで片道二時間半以上かかるのでやめたこと、2015年に初めて音博に行くことに決めたがシルバーウィークかつ初動が遅かったためホテルがなかなか見つからず本当に『宿はなし』状態になりそうだったこと、『京都の大学生』で歌われているように京都で206番のバスに乗って後ろの席に座ったこと、くるり結成20周年記念ライブ生配信をサッカーの代表戦を観ながら視聴していて「サッカーの試合を見ながらくるりのライブも堪能する俺の視野の広さ、今の日本代表に必要なんじゃないのか~???」とツイートしたらそれが配信中に岸田さんに読まれたこと、『京都の大学生』を聴きながらパリの街を歩いたこと、コロナ禍のGWに『ばらの花』の多重録音動画を作ってみたこと、オンラインで音博を見たこと、コロナ禍で初めて見たライブがZepp Hanedaのくるりだったこと、そして今回「3年ぶりに梅小路公園で行われた京都音楽博覧会を雨に打たれながら見たこと」がまた自分にとってくるりを語る上で欠かせないものとなった。

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 音博開催を記念して緑色にライトアップされた京都タワーの前を通り過ぎてホテルへ。着替えて京都駅近くのカラオケボックス店でのくるりファンの集いに参加した。明日もあるので抑えようと思ったけれど、メニューにあった「焼酎ダブルロック」のパワーワードに抗えず、気がつけば飲み過ぎてしまった。深夜1時過ぎにお店の外へ出ると、京都タワーは消灯していて、またこの日が終わってしまったのだと強い寂寥感に襲われる。

 翌日、私はまた京都の行きたい場所リストを駆けずり回る。最終日もあいにくの天気だったけれど、それでも京都は最高だからずるい。機会があれば、音博とは関係なくゆっくり京都を見て回りたい。

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 京都駅で阿闍梨餅を買い、夕方、帰りの新幹線に乗り込んだ。行きたい場所リストはほとんどチェックが入っていない状態だったけれど、久々の音博を最後まで見届けられたことに対しては大きなチェックマーク。

 新型コロナウイルスが奪っていったものはたくさんあって、そのうちの一つが音楽イベントであり、更にそのうちの一つが梅小路公園で行われる音博であり、それは奪われた全体から見るとほんの些細なちっぽけなもののように思えるけれど、今回久しぶりに現地での音博に参加してみて、それはただの音楽イベントではなく、自分にとって特別なものになっていたと改めて思うのであった。

 のぞみ42号は午後8時過ぎに東京に到着した。東京の街に出て来ました、と『東京』の歌い出しを胸に抱いて上京してきたのがもう十余年前。東海道新幹線の車内で、浜松町駅を過ぎたあたりで建物の隙間から見え隠れする東京タワーを見るたびに、いつしか東京は自分にとって帰る場所になっていたのだと実感する。

 音博での演奏を思い返しながら、『東京』の再生ボタンを押し、山手線のホームへと向かった。