日記なんかつけてみたりして

コメント歓迎期間中

引越前夜

 なんで、私が東大に!? という某予備校の広告に似た思いが脳裏をよぎる初夏だった。私は10年間住んだマンションからの引っ越しを控えていた。10年間、長い期間である。気付けば私の人生において最も長く住んだ部屋になっていた。その間、年齢も年収もじわりじわりと上昇、片方は焦り、もう片方は喜びを持ってその数字を数えた。毎月、胸をえぐられるような思いで迎えていた家賃引き落としの27日。その家賃の貯金通帳における存在感が次第に薄れていくとともに、部屋の狭さが気にかかる。この年齢で学生が住むような狭い部屋に住んでいるのはまずいのでは。本来であれば結婚や同棲を機にパートナーと新居を選ぶのが理想ではあったが、残念ながらこの10年間でそういう運びにはならなかった。そういう運びにならないのはそもそもこの部屋が原因か。椎名林檎は「小部屋が孤独を甘やかす」と歌っているが、孤独を甘やかされて過ごした結果なのだろうか。風水などはよく分からないが、自分の好きな部屋に住み、環境を変え、生活を整えることで運気も上向いてくるのかもしれない。そんな思いがズボラな私の背中を押し、引っ越しを伴う異動がないことがほぼ確定した3月初旬、流れる季節の真ん中でふと日の長さを感じつつ部屋探しを開始した。ネットで物件を検索し、不動産を訪れ、契約を済ませた。

 そして夏の足音が聞こえてくる5月、私は引っ越しの準備に追われていた。部屋の掃除、断捨離、荷造り。思えばこれまでの人生で引っ越しはこれで7回目、もはやベテランかもしれないがブランクが長すぎた。面倒くさい。そもそもこれまでの引っ越しは、進学、留学、就職等のタイミングで、言わば外的要因によるものだった。自らの自由意志で引っ越すのは初めてであり、だからこそ自分の選択が正しかったのか、なんでこんな選択をしてしまったのか、と目の前のTO DOリストの山を見上げて後悔する。それでも決めてしまったからには前に進むしかない。何となくつけていたテレビからは何かのCMでカネコアヤノが「たくさん抱えていたい〜」と歌っていた。それをB'zの「いらない何も捨ててしまおう」で上書きした私は、これまで抱えていたものを捨てる作業をひたすら進めた。狭い部屋で物欲は抑えつけて過ごしてきたと思っていたが、クローゼットからは無限に物が出てきた。ブラックホールの出口がそこにあった。こんまりを憑依させ、ときめかないものは全て捨てようと思えど、様々な思い出が去来し、それらの物たちは新居へ連れてってくれと懇願した。完璧にこんまりになりきれない私は、ときめかないものを捨てるか売るか実家に送るかした。

 引っ越し先の物件は旧居住区から二駅分という近さである。これまでさほど意識していなかったが、生活圏内でふと新居の建物が遠くに見えることに気づく。遥か高みから私を手招くように見下ろしている。いずれあそこに住むことになるのか、と期待に胸を膨らませるのと同時に、自分自身の決断にこう問いかけていた。なんで、私がタワマンに!?

 タワーマンション、おおむね20階建て以上のタワー状の集合住宅、通称「タワマン」。私がタワマンに住まない理由を列挙するのは簡単だった。エレベーターに時間がかかりそう、忘れ物を取りに戻るのが面倒そう、家賃が高そう、などなど。しかし、タワマンに住んでいる今思い返すと、それらは羨望や嫉妬を覆い隠すための言い訳だったのかもしれない。

 引っ越しは、自分の年収に見合った家賃を知ることから始まった。「年収 家賃」でネット検索すると、年収の20〜30%程度が一般的のようだった。家賃の上限を設定し、この一年間の貯蓄を振り返り、家賃が増えたらどうなるかをシミュレーションした。そして、諸条件を入力してネット検索をする。これまでよりも会社に近いこと、某路線の沿線であること、そして今までよりも広いこと。条件入力後、検索結果として出てきた物件を5つ程度に絞り、MacBookのNumbersで一覧表にする。物件名、家賃、管理費、階数、平米数、平米当たりの家賃、居室の畳数、畳数当たりの家賃、方角、最寄駅までの距離、会社までの所要時間、美容院までの所要時間……。表とにらめっこして、様々な面から検討を重ねた。そして最終的に決めたのが、当初は現実味を帯びていなかった、何となく候補に残していたタワマンの1室だった。タワマンと言っても、立地も地味、共有施設も地味、部屋の階数も地味だから景色も地味で家賃も地味な地味タワマンの地味部屋である。候補の中では会社から遠く、平米あたりの家賃も少し高かったが、インターネットが付いていること、ゴミステーションが各フロアにあること、共有施設が使用できること、といったタワーマンションの特権に惹かれた。低層階である分家賃が抑えられるし、地上にも出やすい。そしてほぼ駅というぐらい駅近。より会社に近い別の物件と最後まで迷っていたが、その物件のトイレがアメリカンセパレートという洗面所と同じ空間にあるタイプだったことがネックで結局手を引いた。また、実業家のひろゆき氏がタワマンの低層階を賃貸で住むことに対するコスパの良さについて語っている動画を見かけ、背中を押された形でタワマンの賃貸の契約書に判子を押した。

(因みに、持ち家か賃貸か、という問題に関して、私は賃貸派である。両者の比較については、経済評論家の山崎元氏の考えに同調するところが多く、例えば朝日新書『超簡単 お金の運用術』で語られている「将来の物件価値はいくらくらいあるのかといった損得を考えてみるべき」「不動産物件を買ってしまうことによる自由度の低下」等々の意見に同感である。そもそも離島で生まれ育ち、これまで様々な場所で住んできたことが、一つの場所にずっと留まるという意識を持ちづらくさせているのだとの思うし、だからこそ賃貸派の意見を好意的に捉えているフシもある。転勤の可能性があることも一つの大きな要因であるし、いつか田舎でゆっくり暮らしたいと心のどこかで望んでいるのかもしれない。あるいは、人生で一度の大きな買い物を決断する度胸がないだけかもしれない……。)

 永遠に終わらないのではないかと思えた引っ越しの準備だったが、さすがに切羽詰まると人は物凄い力を発揮する。自分の中に秘められた引っ越し力が解放され、サブスクやYouTubeを倍速にしたときの人の動きで準備を進めた。そして、引っ越しの前夜には何とか引っ越し業者を招き入れる準備が整った。

 2023年6月2日、金曜日、段ボールの積み上がった部屋で、最後の夜を噛み締める。脳裏に浮かぶのはこの部屋で過ごした数々の思い出、ではなく、掃除が不十分なところを業者に見られてしまうきまりの悪さである。立つ鳥跡を濁さず、と言うが、濁した状態で立つ私は感傷的な気分に浸ることなく、翌日の引っ越し当日の分刻みのスケジュールを不安視しながら眠りについた。

 そして夜が明けた。