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京都音楽博覧会2023

 どこよりも早い音博レポートをしたためようと思っていたのに、多くの参加者に先を越され、更に季節の流れは私の執筆速度を遥かに凌駕していて、気付けばゆっくりと12月のあかりが灯りはじめ慌ただしく踊る街を誰もが好きになる季節。暖かいから油断していた。カレンダーは否応なく進んでいた。マックでグラコロの温かさを口の中に感じながら、もう冬かよそういえばまだ書いてないやんけ、と書きかけの記事をふと思い出す。もはや記憶の彼方に過ぎ去ろうとしている京都での出来事は、今ならまだ残した写真やX(旧ツイッター)のポスト(旧ツイート)の助けを借りて復元可能だと、慌ててiPhoneはてなブログのアプリを開いてフリック入力。どこよりも早いはずだったどこよりも遅い音博レポートを今ここにお届けすることにする。お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。誰も待っていなかったかもしれません。

 

 気がつけば一年で最も天気の心配をする日になっていた。毎年秋に開催される京都音楽博覧会。過去を振り返ってみると、2016年には、滝のような雨に打たれながら桜井和寿岸田繁の演奏する『シーラカンス』を聴き、自分たちがまるで深海の底で音を聴いているような強い非現実感に襲われ、曲の世界にどっぷり浸かるという体験ができた。2019年には、そのときを狙って降り出したかのような豪雨が、活動再開したNUMBER GIRLの演奏をドラマティックに盛り上げてくれた。そんな風にポジティブに捉えられるのは、後から振り返ってその苦難を無理やり変換しているからであって、実際に降られている最中は「もうやめてくれよ」のオンパレード。インドア黒帯の私にはつらい。野外イベントにおいて雨は降らないに越したことはない。

 記憶に新しい昨年2022年の音博は開演から雨に打たれて長時間の滝行。それで精神が鍛えられて、例えば仕事に対する前向きな姿勢などが得られればいいのだが、実際は音博ロスにとらわれ、心は会場の梅小路公園に残されたまま、音博の最後に演奏された定番曲、くるりの『宿はなし』を脳内再生して業務に取り組む私にやる気はなし。野外イベントにおいて雨は降らないに越したことはない。

 今年は二日間の開催となった音博、一週間ほど前にウェザーニュースをチェックしてみるとまさにその二日を狙ったかのように傘のマークがついている。まあまだ一週間あるし、そのうちずれてくれるだろう、という願い虚しく、その日が近づいてきても動く気配のない傘二つ。くそっ、現代の天気予報の正確性が憎い! 今年も音博に参戦するつもりですか雨雲。であれば共に楽しみましょう。雨にも負けず、風にも負けず、音博を最後まで楽しみ尽くすことをここに誓います、とZOZOTOWNで雨具をポチポチ。ドラクエのラスボスに挑むぐらいの重装備で、昨年とは一味も二味も違う自分を見せてやろうではないか。

 10月初旬の3連休の初日朝に新幹線で京都入り。京都駅南口のホテルにチェックインを済ませ、駅構内のコンコースを抜ける。京都タワーが目に入る瞬間、京都に来たのだという強い実感が湧き上がってくる。音博初日前日の京都の空は青空が広がる心地よい気候で、もう今日開催でいいだろう、と音博会場の梅小路公園に足が向きそうになるのを抑えてバスに乗った。

 毎回、京都訪問前に行きたい場所をリストアップして音博の前後に駆け足で回っていたが、今回は激務続きの毎日でプランを考える余裕がなかった。そもそも今年は音博が二日間開催となったため観光に割ける時間も少なくなったし、もう既に何度も訪れている京都である。音博前日に伏見稲荷神社を訪問し引き返すタイミングが分からず結局登頂して体力を使い果たしたこともあったし、森見登美彦の小説を読んでその舞台を巡ったこともあった。哲学の道で猫と戯れたこともあったし、宇治へ足を伸ばし抹茶に溺れたこともあった。とにかく、気になるところは行き尽くした感がある。そんなわけで、とりあえず何となく毎回訪れている定番の鴨川デルタを目指すが、ぶらり途中下車の旅、お昼どきで胃袋が京極かねよのきんし丼を求めていた。

 店の前で少し待って入店、オーダーして出てきたきんし丼は分厚いだし巻きをめくると鰻が顔を覗かせる。冬の朝の布団の中の私か。もう少し寝かせてあげたいところであるが、有無を言わさずいただきますこれが社会の厳しさ。

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 卵と鰻のハーモニーを堪能した後は再びバスに乗り北上、デルタ付近でバスを降りると長蛇の列が目に入る。美味しいから並ぶのか、並ぶから美味しいのか、出町ふたばの豆餅。今回もいただきたいところであるが、観光の時間と天秤にかけて今回はスキップ。嗚呼、遠く東の地から訪れた私にファストパスをください。鴨川を眺めながら食す豆餅の味を思い返す。またいつか。美味しいから並ぶのです。

 そしていざデルタ。まずは定番の角度、賀茂大橋の上から三角州を拝む。目の前で賀茂川と高野川が合流し、鴨川となって流れてくる。何度見ても美しい景観、この景色のどこかに黄金比が隠れているのかもしれない。

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 賀茂川の岸から飛び石を渡り中州へ。いつかスムーズに渡り切れないときが来たら、その時には自らの老いを認め、運転免許証の返納を真剣に検討しようと思うが、当分は大丈夫そうである。華麗に飛び石を渡り、鴨川デルタ飛び石渡りがオリンピックの新種目になった暁にはメダル狙えそうなほど。

 森見登美彦万城目学、そして過去を遡れば数多の文豪らが作品に登場させてきたデルタ、その三角の中でのんびり時を過ごす。私は、NHKドキュメント72時間でここ鴨川デルタが取り上げられた回を思い出していた。配偶者のプロモーションビデオを撮影する男性、卒業までに鴨川デルタで過ごした時間を記録する大学生、震災で家族を亡くし人生が狂った老人、大学が爆破予告されて休校になり遊びに来た大学生、小説の登場人物よりもユニークなキャラクターたちが鴨川デルタでそれぞれの物語を紡いでいた。そして自分も願わくばその一部になりたかったと、京都の大学生として過ごしたパラレルワールドの自分を夢想したりする。

 鴨川デルタはこの日も人々の憩いの場となっていた。ここは、二つの川だけではなく様々な思いも交錯する場所、なのかもしれない。

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 鴨川デルタを離れ、鴨川沿いをあてどもなくさまよう。夜は短し歩けよ乙女。夜でもなければ乙女でもないが歩き続ける。立誠ガーデンヒューリック京都を覗き、梅園の甘味で一休み、BIG BOSS京都でいつ使うのか京都五山送り火ピックセットを購入し、スターバックスコーヒー京都BAL店を訪れ、先斗町のあたりを徘徊する。音博の前はなるべく体力を温存しておきたいのに気付けば2万歩弱。人はなぜ歴史から学べないのだろうか。青すぎる空を飛び交うミサイルがここからは見えない。

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 さて、ここまで約2,800文字を費やしたがまだ音博開催まで辿り着いていないとはこれいかに。イントロがB'zの『LOVE PHANTOM』ぐらい長くなってしまった。記事の中の私は疲弊していて、これを書いている私も相当言語野を酷使して疲弊している。このあたりでひとまず筆を置き、どこよりも遅い音博レポートをますます熟成させることにしよう。

 果たして続きを年内に投稿することができるのか、期待しないで待っていてください。

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