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プロローグ(スペイン篇7)

仕事始めを明日に控え、時差ボケが抜ける気配はなく、私の心はまだバルセロナでピンチョスを頬張っていた。午後9時過ぎにテレビをつけてみると、そんな私の社会復帰をより困難にする番組が放送されていた。見てきたばかりの景観が画面に映し出される。『NHKスペシャル サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む』、スペインから帰国して間もないこの時期に、NHKが逆に私に対して用意してくれたお土産なのか。

サグラダ・ファミリアのシンボルとも言えるイエスの塔を建築するにあたり、その内部の装飾をどうするのか、この旅行記でも度々紹介してきたサグラダ・ファミリアの主任彫刻家、外尾悦郎氏が苦悩する姿が映し出されていた。

生前、ガウディが残した模型や建築資料、そのほとんどがスペイン内戦で失われてしまった。跡を継いだ弟子たちは、ガウディの言葉や模型の破片などからガウディの意図を汲み取り、建設を続けている。イエスの塔の内部を装飾するにあたり、試行錯誤を繰り返す外尾氏。「種」をモチーフにオブジェを作り、郊外の実験場の壁に取り付けてみるものの、しっくりこない。創作に行き詰まる最中、別の教会の地下からガウディが残した資料が大量に見つかる。そこから、ガウディがイエスの塔を構想していた時期に、色の研究に没頭していたことが分かる。そして、資料の中にグラデーションの実験をしていた形跡が。外尾氏はイエスの塔のテーマは「色彩」だと結論付けた。

番組内で、外尾氏はこう語っている。

――自然には境目がないんですよね。いろんな色はあるけど境目はないんですよ。空の色も海の色も。色が無限にグラデーションがかかって変わっていく。ところが人間が作るものはすべて境目がある。それをガウディは悲しく思ったんじゃないかなと思うんですよね。

番組内で映し出される、イエスの塔の内部のイメージCG、色とりどりのグラデーションの壁、この空間に私が足を踏み入れることはあるのだろうか。もしあるとすれば、その瞬間に何を感じるのだろうか。

私はバルセロナで見た景色を思い返していた。ガウディの建築物の背後には、自然が作ったグラデーションが広がっていた。

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そして今日もサグラダ・ファミリアの建築は続いている。ガウディの後を継いだ多くの人々の努力と苦悩が少しずつ形になっていく。

またここを訪れたい、と思った。サグラダ・ファミリアの完成は、2026年、東京五輪よりも先の未来が、私にとって意味を持つようになった今回の旅。もしかしたら、完成後に訪れるかもしれないし、それ以前にまた訪れるかもしれない。これまで時間をかけて書いてきたこの記事は、そのときの私に向かって書かれたもののようにも思える。そして、この続きを将来の私が書くことをどこかで期待しているのかもしれない。だから、私はあえて、この言葉でこの旅行記を締めくくることにする。

つづく