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2021年1月1日、東京

 もしもコロナがなかったら今頃旅行に行っているのに、もしもコロナがなかったら今頃友人と飲みに行っているのに、もしもコロナがなかったら……。思い返してみれば、たくさんの仮定法過去を並べた一年だった。そんな2020年の年の暮れも、私はあいも変わらず現在の事実に反することを想定し、叶うことのない願望を抱いていた。もしもコロナがなかったら、三年ぶりに帰省して家族と久しぶりの再会を果たせたのに、と。

 昨年、一昨年と、年末年始は海外を放浪していて、今回こそは帰省しなければ親に勘当される、と思っていたのに、帰省したら親に勘当される事態になってしまった。人生で初めて、東京で迎える新年。どこにも行けないのであれば東京でしかできない、これぞ東京の年越しというのを体験してやろう、とマスクの内側で鼻息を荒くしてプランを練っていた。

  大晦日、お昼すぎに一泊分の荷物を持って家を出た。自宅から羽田空港まで50分、羽田から香港まで5時間10分、香港からローマまで13時間、ローマからドゥブロヴニクまで1時間20分、単純な移動時間だけ考えると、20時間20分かかる場所で年越しを迎えた前回と比べ、今回は移動時間わずか30分である。近所のバス停でiPhoneをいじっていると、都内の新規感染者数が1,000人の大台を突破したという衝撃のニュースが目に飛び込んでくる。

 新型コロナウイルスが蔓延する東京の街を見ながら、バスに揺られる。行き先は、GoToトラベルキャンペーンを利用して予約していた某ホテル、半月前にキャンペーンが停止となり、現地で追加費用を支払うことになったが、計画を変更することはなかった。結局一度も恩恵を受けることのなかった私に残されたのは、地域限定クーポンではなく大手を振ってこのキャンペーンを批判できる権利。このキャンペーンによってどれだけ感染が拡大したかは分からないが、人々の意識が緩んでしまったような気がする。

 この時期に都内ホテルに宿泊する私の行為も批判の対象となるだろうか。「ヒト対コロナ」のはずなのに、コロナに対する対策や意識のちょっとした違いで「ヒト対ヒト」になってしまうのがやるせない。

 浅草でバスを降りると、目の前に宿泊するホテルがそびえ立っていた。手の消毒と体温測定を終え、チェックイン、宿泊する22階の部屋へと移動する。カードキーを使って中に入ると、ツインルームのゆったりとした空間が広がっていた。カーテンを開けると、広く取られた三面の窓からは浅草の町が一望できた。そして、浅草寺の本堂と五重塔に挟まれるような形で正面に屹立する東京スカイツリー。自分専用の展望台で過ごしているような贅沢である。この一年、様々なレジャーを我慢してきたことを考えると、最後ぐらい許される贅沢であろう。GoToトラベルキャンペーンが停止となり、これまで宿泊してきたどのホテルよりも高くついてしまったが、それでも地元へ帰る交通費よりは安いのが滑稽でもある。鹿児島県は奄美地方にある離島、地元への距離は物理的にも精神的にも遠く、コロナ流行前からソーシャルディスタンスを取っていた。新型コロナウイルスは更にその距離を広げてしまったのだろうか、いや、時折受ける家族からの安否確認の電話はその距離を押し留めようとしているようにも思える。

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 非の打ち所がない好天だった。スカイツリーが西日に照らされ輝いたその後、空が徐々に暗くなってくる。日が傾くにつれ刻一刻と色を変える景色を見ていた。この景色の中にも、コロナに苦しんでいる人々がたくさんいるのだろうか。

 すっかり暗くなった空に抗うようにスカイツリーが点灯し、気がつけばテレビから紅白歌合戦が放送されている。そういえば紅白を見るのも三年ぶりだった。

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 宿泊は年末年始の特別プランで、広東料理・フレンチのコラボレーションコースに加え、臨時会場での年越しそばもついてきたため、紅白歌合戦の出演順を気にしながら度々中座、ついつい食べすぎてしまうものの、今年のカロリーは来年に持ち越さないという謎の理論を持ち出して自らを正当化する。そうこうしているうちに、テレビからは「ゆく年くる年」が放送されている。

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 一年前、クロアチアドゥブロヴニクの広場でカウントダウンをした。見知らぬ他人と密になるのが怖くなかったあの日。年が変わる瞬間、「アドリア海の真珠」と呼ばれるほど美しい街並みの上に花火が上がった。今回は、ただテレビ画面の中で芸能人が年が変わる瞬間を仰々しく飾り立てようとしているのを見るだけである。そして、年が明ける。窓の外を見ると、スカイツリーは自粛しているようにひっそりと闇に姿をひそめていた。

 午前6時過ぎにiPhoneのアラームが鳴り、目を覚ます。深夜まで長いことお笑い番組を見ていたため、睡眠時間は足りていなかったが、目覚めたその場所が初日の出スポットで、眠い目をこすりながら移動する必要はない。窓を開け、まだ眠りに包まれている浅草の町を見下ろす。誰よりも早く、リモートで浅草寺に初詣をする。

 スカイツリーの頂上付近はまだ夜の雰囲気を残していたが、ソラマチのあたりは橙色に染まっていた。寒さと密を避けた状態で、その瞬間が訪れるのを待つ。スカイツリーの右側、墨田区役所のあたりから太陽が顔を覗かせる。強烈な光に目を細めながら、ここからまた新しい年が始まるのだ、という強い実感を抱く。

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 地元で、旅先で、ここ数年は毎年どこかで初日の出を拝んできた。特に信心深いタイプではないけれど、すっかり習慣となってしまったこの行為をコロナ禍でもなんらかの形でできないだろうか、と考えていた。茨城県大洗海岸や、千葉県の犬吠埼など、様々な候補地を検討してたどり着いた結論がここだった。もしもコロナがなかったら、とまた私は仮定法過去を並べる。こんな形で、東京で、初日の出を見ることはなかっただろう。

 2021年がどんな一年になるのかは分からない。まだまだ新型コロナウイルスはしぶとく我々の生活を苦しめるだろうけれど、この状況だからこそ楽しめることを楽しみたい。

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 太陽は地平線から完全に姿を見せ、東京の街をしっかり照らしていた。太陽がスカイツリーよりも高く昇る前に空腹を覚えて、ホテルのレストランへ向かった。元旦にして2021年で一番豪華になるであろう朝食を食べる。

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 食後、部屋に戻り、また窓の外を眺める。私が上京してきた14年前には姿形もなかった東京スカイツリーが、雲ひとつない青空を背景に立っている。東京を象徴する建物と言えば、どうしても東京タワーを思い浮かべていたけれど、気がつけば東京スカイツリーも私の東京生活の一部になっていたのだと実感する。そして、今回の年越しの体験もまた、今後どれだけ続くのか分からない私の東京生活におけるスカイツリーの存在感を強めることになるだろう。

 窓際から離れ、ベッドにダイブする。さすがに眠い。チェックアウトの正午ギリギリまで惰眠を貪ることにした。初日の出、拝んだ後の、初二度寝。食べてすぐ寝て丑になって、そんなこんなで私の2021年が始まった。