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ドゥブロヴニク

最初にその写真を見たのがいつなのか、今となっては覚えていない。城壁に囲まれた場所にオレンジ色の屋根がひしめき合い、その向こうには海が広がっている。ジブリ作品に出てきそうな光景に私の目は奪われた。クロアチアドゥブロヴニク、その場所の写真をインターネットやガイドブックで何度も見るうちに、いつか行ってみたい場所となっていた。しかし、スカイスキャナーで航空券をチェックするたびに、その「いつか」が遠のくような、もしかしたら訪れないような気がした。乗り継ぎの回数と航空券の価格にため息をつく。

だが、その「いつか」を遠ざけるのも近づけるのも結局は自分の意志次第。9月30日にツイッターで年末年始の旅行先候補地として「ドゥブロヴニク」の名前を挙げたのは、自分で自分の背中を押したかったのかもしれない。その「いつか」、2020年1月1日とその前後の記事をこうしてここに綴れることを嬉しく思う。

スマホで時間を確認し、その瞬間が訪れたことを認識する。現地時間は、と言っても高速で移動する旅客機の中にいてどの地点の時刻を切り取ればいいのか分からないが、出発地のローマも目的地のドゥブロヴニクも大晦日の午後四時になったところ。日本で令和二年を迎えたその瞬間、私はアドリア海の上空にいた。

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西日を受けながら旅客機は徐々に高度を下げ、日本で新年の挨拶も落ち着いた頃合いにドゥブロヴニク空港に到着した。僅か一時間の空の旅、遠いと思っていたドゥブロヴニクは、ローマまで来てしまえば近い。

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入国審査を抜けて、ユーロをクロアチアの通貨クーナに両替、そのクーナで旧市街と空港間のバスの往復チケットを購入する。ドゥブロヴニク空港は小さく、飛行機の離着陸の時間に合わせてバスが運行していた。

進行方向に向かって左側の席が景色が綺麗に見える、とどこかに書いてあったのを思い出し、左側の席に座るが、外はもう闇に包まれかけていて、煌めくアドリア海も鮮やかなオレンジ色の屋根も見えそうにない。代わりに、日本では見られないような色の夕焼けが広がっていて、紛れもなく異国にいることを実感させた。

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山の斜面を切り崩してできた狭い道路をバスはすごいスピードで進み、約30分後、周囲を約2kmの城壁に囲まれたドゥブロヴニクの旧市街に到着した。この日から二泊するアパートは旧市街の中央にある。メインゲートのピレ門から旧市街に入り、Google Mapsを頼りにメインストリートのプラツァ通りを歩く。大晦日のイベントだろうか、通りの両側には屋台が出ていて、奥の広場にはステージが設置されていた。

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アパートはホテルとは違い、スタッフが常駐しているわけではない。事前に管理人におおよその到着時刻をメールで伝えておいた。その時刻17:30の少し前にアパートの近くまでたどり着き、どれが正しい建物かとあたりを見渡していると、近くの飲食店のテラスで会話していた二人の男性のうちの一人が声をかけてきた。管理人のようである。プラツァ通りから一本路地を入ったところにあるアパートの一階のロビーに案内される。主要観光地へのアクセス、朝食の場所や、暗証番号式のドアの解錠方法等について説明を受け、宿泊する三階の部屋に階段で移動(旧市街にはエレベーターがない)、今度は部屋の設備の説明を受ける。

アパートは広く快適で立地も良く、ここに二泊できる喜びと共にベッドに横になる。もはやここに住みたいと思うほどである。

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少し休んで、夜の旧市街を散策する。街頭に照らされる石畳の上を歩き、アドリア海の海の幸を堪能し、アパートへ戻る。

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いつしか広場のステージでは演奏が始まっていた。聴衆も一緒に熱唱しているところを見ると、クロアチアのポップス、Cポップ(?)だろうか。COUNTDOWN CROATIA 19/20の音漏れが、通りにほど近いアパートの部屋にも容赦なく届く。熱狂はその瞬間が近づくにつれて上昇しているようである。

新年が訪れる少し前に再び外に出てみると、プラツァ通りはたくさんの人で入ることができない。路地裏をステージの方へ向かい、更にステージの裏まで行ったところでようやくプラツァ通りに入ることができた。何を言っているのか全く分からないMCの声が熱を帯びる。そして、一秒毎に発せられる謎の言葉はクロアチア語の数字だろうか。10、9、8(恐らく)、その言葉と共に花火が上がる。7、6、5(恐らく)……。

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スマホで時間を確認し、その瞬間が訪れたことを認識する、までもなく夜空には無数の花火。日本に遅れること八時間、クロアチアでも2020年を迎えた。花火を見上げながら、この瞬間を一番訪れたかった場所で迎えられることの喜びを感じていた。

そしてCOUNTDOWN CROATIA 19/20は続く。部屋に戻ってもその熱気は届く。今夜は眠れそうにない、と思っていたがいつの間にか眠っていたようだ。途中でしっとりとしたバラードが演奏されたのかもしれない。

アドリア海を挟んで遠くの陸地と空の境目が赤く染まり、日の出を予感させる。当初は惰眠をむさぼって旅の疲れを癒そうと思っていたが、日の出の30分前に目が覚めてしまい、朝の散歩を、あわよくば初日の出を拝もうと旧港までやってきたのである。空は快晴。しばらくすると太陽が顔を覗かせた。ドゥブロヴニクの城壁と、旧港と、早起きの猫を朝日が照らす。オレンジ色の屋根屋根を見る前の、圧倒的なまでのオレンジ色。

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アパートと提携している近くのレストランで朝食を取った後、ロープウェイでスルジ山へ。オフシーズンで閑散としているゴンドラ内、陽気なBGMと好天が侘しさを補う。旧市街が少しずつ小さくなる。

山頂に到着して旧市街を一望する。

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来た。

とうとう来てしまった。

城壁に囲まれた場所にオレンジ色の屋根がひしめき合い、その向こうには海が広がっている。写真で何度も目にした光景が、思い描いていた「いつか」が目の前にあった。何となく行きたい場所から、行く予定の場所になり、そして来た場所に。青とオレンジと緑のコントラストを目に焼き付ける。

私にとって忘れられない景色がまた一つできた。

旧市街の反対側に目を向けると、荒凉とした大地が広がっている。近くの独立戦争展示館を訪れ、ここで確かに戦争があったという事実を目の当たりにした後、カフェで一息つく。

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午後は旧市街に戻り、約一時間かけて城壁の上を一周した。遠くからではなく、高さ最高25mの城壁の上から間近に見る屋根の連なりもまた絶景。インスタ映えという概念を城壁の中に凝縮したような町並みを眼下に見ながら歩く。とてもいい天気で、2020年の天気運を全てここで使ってしまったのではと思うほど。日の光を浴びてアドリア海が眩しい。広場で行われているクラシックの演奏会をBGMにして、城壁の上で贅沢な時間を過ごした。

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オフシーズンでしかも元日なので、残念ながらお店やレストラン、博物館などは半分以上閉まっていた。一方で、人が少なくゆっくり散策できるという一長一短。旧市街の中を自由に彷徨う野良猫さながら私も自由気ままに歩き回った。

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新年の挨拶もおせちも年賀状もない、オレンジ色の屋根と城壁と野良猫の私の2020年1月1日が満足感と共に終わる。

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午前五時前、夜明け前の旧市街をロープウェイ乗り場へ向かって歩く。そこから五時過ぎに空港行きのバスが出ることになっていた。街頭に照らされる石畳を歩きながら、名残惜しさを感じる。到着は大晦日の夕方、出発は二日の早朝のため「二泊三日」という言葉よりも短く感じるドゥブロヴニクでの時間だった。

空港行きのバスの右側に座ってみるが、やっぱりあたりは闇に包まれていて、景色を楽しめそうにない。

ローマへの復路はフランクフルト経由である。ドゥブロヴニク空港でスムーズに搭乗手続きを終え、七時半、クロアチア航空の便でフランクフルトへと飛び立った。

飛行機の窓から遠くドゥブロヴニクの旧市街が見えた。目を凝らしてみるものの、遠すぎて鮮やかなオレンジ色の屋根は判別できない。

いつか記憶からも遠ざかってしまうであろうそのオレンジ色をまた目に焼き付けたい。いつかまたクロアチアを訪れよう、と機内誌のモドリッチに誓うのであった。

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