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+8(スペイン篇2)

ホテルの朝食ビュッフェが好きだ。特に、その土地の特色が現れていて、種類が豊富であれば申し分ない。例えば、鹿児島のホテルでは鶏飯を食べ、台北のホテルでは点心を食べたことがあったが、朝からその地域の文化にどっぷり浸かることができる食事は旅行に彩りを与えてくれるような気がする。

ホテルの朝食会場には、様々な食材が並んでいた。ハムやチーズは特に種類が豊富で、それを日本人である私は「ハム」「チーズ」としか言い表せない、この語彙が追い付かない感じが嬉しい。また、カバ(スペイン製スパークリングワイン)のボトルも置いてあった。さすがに朝からアルコールを摂取してしまうと、現地の方々以上に陽気な一日を過ごしてしまいそうで遠慮しておいた。なんてことない普通の目玉焼きがとても美味しかった。

食後、この旅初めての地下鉄に乗った。バルセロナは某旅行情報サイトが発表している「スリが多い世界の都市ランキング」で堂々一位を獲得しており、ネット上や『地球の歩き方』では地下鉄での被害が数多く報告されていた。新聞やコートを手に持ったまま近づき、旅行者の鞄を隠しながら財布を盗む、などといった具体的な手口の数々をあらかじめ頭に入れておいた私は、コートの内ポケットに財布を入れ、ショルダーバッグは体の前に持ってくる。地下鉄の改札を通った瞬間から周囲は全員敵、近寄るなオーラをまき散らしながらホームへ向かい、電車に乗り込んだ。FCバルセロナの攻撃陣でも手を焼くほどの超守備的な布陣を築き上げる。そんな私がこの日最初に向かう先は、そのFCバルセロナの本拠地であるカンプ・ノウ・スタジアム。本来はここで試合を観戦したかったのだが、年末年始は試合が行われないため、スタジアムツアーにだけ参加することにしていた。

サグラダ・ファミリア駅からコイブラン駅まで5号線で15分、そこからGoogle Mapsを頼りに歩くこと10分、バルサファンにとって、否、サッカーファンにとっての聖地とも言えるカンプ・ノウに到着した。ツアーのチケットを購入し、中に入る。まずはミュージアムでクラブの長い歴史を垣間見る。歴代のユニフォームや写真、応援歌の楽譜までも展示されていた。そして、私の人生で果たしてこんな数のトロフィーを一度に目にしたことがあっただろうか、と思うほど華々しい経歴が飾られていた。世界でも有数のクラブが地元にあるというのはどんな気分なのだろう。私の地元のクラブ、鹿児島ユナイテッドFCはなんとかJ2リーグに昇格したばかりであり、そんな私にとってはトロフィーの輝きが眩しすぎる。

スタンドに出てピッチを眺める。これまで4人の日本人選手がここでバルサ相手に奮闘した。とりわけこのピッチで日本人として初ゴールを、しかもその試合で2得点を挙げた乾貴士の衝撃は記憶に新しいが、その彼も今やなかなか試合に出場できていない現状を考えると、スペインリーグで活躍することがいかに難しいかを思い知らされる。

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プレスルーム、ロッカールームを訪れ、プレイヤーズトンネルを抜ける。まるで自分が選手になったかのような気分を味わいながら歩く。カンプ・ノウの芝が目の前に広がる。恐らくほとんどのサッカー選手が憧れる瞬間を疑似体験する。

やっぱり、ここで試合が観たい、と思った。

思い返すのは、今年3月、ドイツはドルトムントのスタジアムで観戦したブンデスリーガの試合である。バックスタンドのサポーターの黄色い壁、ゴールの瞬間の狂乱、試合後の余韻……。チャンピオンズリーグ出場権を争うフランクフルトとの試合は一進一退のシーソーゲームで、終盤でドルトムントが勝ち越しのゴールを奪うという劇的なものだった。その翌日、スタジアムツアーでもう一度訪れたそこは、祭りの後の静寂、ガラガラのスタンドに無人のピッチ、あの熱狂が夢だったかのように静まり返っていた。スタジアムの動と静を味わって初めてそのスタジアムを堪能したような気がした。

今回観戦できないことを今更嘆いても仕方がない。その分節約できた時間とお金を他に費やすのだ。ありがたいことにバルセロナには僅か一週間足らずの滞在では体験しきれないほどの魅力で満ち溢れている。

いつかここで試合を観戦してやろう、という強い決意を胸にカンプ・ノウを後にする。来たときとは反対側、地下鉄3号線のパラウ・レイアール駅へと向かう。改札を抜けたら全員敵、と再度気を引き締める。乗り継ぎなしで次の目的地、カタルーニャ駅へ。

午後は、バルセロナの中心として古くから栄えたゴシック地区を散策することにしていた。人通りの絶えないランブラス通りを歩き、サン・ジュセップ市場を覗く。その後、無名時代のピカソや多くの芸術家たちが通ったと言われる「クアトラ・ガッツ」というカフェで昼食をとった。ここにはサグラダ・ファミリアの主任彫刻家、外尾氏も1978年に訪れているが、そのときにはもはや芸術の原点といった印象はなく、ただの観光名所となっているカフェ・バーだったと述べている。

確かに、芸術家たちが熱い議論を戦わせるような場面は期待できず、観光客が束の間の休息を取っているだけ、一観光名所に成り下がってしまった感じは否めない。それでもここが歴史的な場所であることに変わりはない。バルセロナを舞台にしたカルロス・ルイス・サフォンの小説『風の影』にも登場する、私にとってはどうしても訪れなければならない場所の一つであった。当時の様子を想像しながら、タパスを口に運ぶ。

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日本では紅白歌合戦が行われているようだった。NHKホールから音楽の祭典がお茶の間に届けられているそのとき、私も音楽の祭典にふさわしい空間へ向かおうとしていた。カタルーニャ音楽堂。ガウディと並ぶ、いや、当時はガウディ以上に名声を博していた建築家モンタネールの最高傑作である。15時からガイドツアーを予約していた私は、時間に合わせてその場所へ向かった。

赤レンガ造りの建物は外観も目を惹かれるが、その内側には素晴らしい空間が広がっていた。ロビーから二階へと続くバラの装飾が施された階段、その階段を上ったところに位置する控室ではステンドグラスから柔らかな光が差し込む。そのガラス戸の外側、バルコニーの柱には色鮮やかなモザイクタイルがあしらわれていた。圧巻は大ホールである。天井のタイルと彫刻、そして、ステンドグラスのシャンデリアからの淡い光がホールを包み込む。舞台の壁面にも彫刻やモザイクが飾られ、まさに豪華絢爛。狭い舞台はさすがにオペラには向かないが、それ以外のどんな音楽にも対応できるという。私はこのカタルーニャ音楽堂でもう一つの歌合戦を勝手に想像していた。

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1時間に及ぶガイドツアーが終わったそのとき、日本では新しい年を迎えたようだった。私は、図らずも8時間長くなった2018年を最後の瞬間まで楽しもうと、引き続きゴシック地区を散策する。高くそびえるゴシック様式のカテドラルに圧倒され、そのカテドラルの裏、石造りの建物に囲まれた王の広場で中世の雰囲気を味わう。大道芸人を横目で見ながらランブラス通りを南下し、この通りの最終地点、コロンブスの塔にたどり着いたところで散策を終えた。

地下鉄でホテルの最寄り駅へと戻る。駅から地上に出た瞬間、サグラダ・ファミリアが圧倒的な存在感を持って迫ってくる。太陽が沈む西側を向いている受難のファサードが、夕日に照らされ橙色に染まっていた。

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ホテルに戻り、屋上からサグラダ・ファミリアを、そして眼下に広がる夕刻のバルセロナの街をのんびり眺めた。贅沢な時間である。

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晦日らしくない大晦日であった、と一日を振り返って思う。ただ、この日を無理やり大晦日らしくするための秘密兵器を日本から持ち込んでいた。

スペインでは新年を迎えた瞬間に12粒のぶどうを食べる習慣があるらしい。それは、新年の12ヶ月の幸運を祈る意味があるとか。日本人である私は、部屋に戻り、日本から持ち込んだ「どん兵衛」を食べる。蕎麦のように細く長く、「健康長寿」と「家運長命」を祈りながら。

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8時間長くなった私の2018年も終わろうとしていた。