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サグラダ・ファミリア(スペイン篇1)

つくづく不思議な建物だと思う。1882年に着工し、未だなお建設中のサグラダ・ファミリア聖堂、それは「永遠に完成しないもの」の象徴のように扱われ、もしかしたら身近にある工期の長い建物がサグラダ・ファミリアに喩えられる場面に遭遇したことがあるかもしれない。例えば、柚木麻子『終点のあの子』の冒頭にも、なかなか完成しない駅に対して「サグラダファミリア」という名称が使われている。

もはや、完成してしまったら、サグラダ・ファミリアサグラダ・ファミリアたらしめているその重要な要素が失われてしまうような気さえしてくる。未完成の中にこそ完全性を秘めているような、そんな矛盾した感覚を抱いてしまうのだ。

そして私は、サグラダ・ファミリアがその完全性を有している間にそこを訪れたかった。建築技術の発展により、当初見込まれていた工期の約300年は半分の144年に短縮され、ガウディ没後100年に当たる2026年に完成が予定されている。タイムリミットが設定されてしまったわけである。W杯二回分の完成までの時間は油断しているときっとあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。脳内ではスーパーマリオのタイムオーバーギリギリの倍速の音楽が鳴り響き、私を急き立てる。いつ行くか、今でしょ!こんな言葉が流行ったのももはや5年前の出来事であり、時が流れるのは本当に早いのだ。

年末年始にヨーロッパ、そんな贅沢を味わうことに躊躇してしまってはいつまでたっても行けない、一人海外で年を越すことの寂寞感など知るか、思い切って私はバルセロナに飛ぶことにした。

かくして私のスペイン珍道中が始まることになる。

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2018年12月30日、現地時間午前7時、バルセロナ郊外のエル・プラット空港に到着したキャセイパシフィック航空の旅客機は、時差ボケと長時間移動に疲弊した乗客を次々と吐き出していた。最新鋭のネックピローを導入し、食事以外の時間をほぼ寝ることに(寝ようとすることに)費やしたはずの私も例外ではなかった。2019年へのカウントダウンを着実に進めていたはずの体が、時差ボケでバグを起こしてしまい、永遠に2018年に取り残されてしまうのではないか。入国審査でだいぶ待たされ、スーツケースを引きずる体をさらに引きずるようにして空港内を移動する。

空港から市内へ移動する方法はバスやタクシーなど様々だが、鉄道と地下鉄を乗り継いで向かうことにした。疲弊した体がどこでもドアを欲するが、ドラえもん誕生はサグラダ・ファミリア完成のはるか未来、2112年の出来事である。ていうかフィクションである。

到着したターミナル1から空港駅のあるターミナル2へ無料の巡回バスで移動する。バルセロナの日の出は8時過ぎと遅く、あたりはまだ闇に包まれていた。

10分程度かけてターミナル2に到着した時点で、空港駅から市内へ30分間隔で運行している列車の次の便にギリギリ間に合うかどうかというところ。案内板に従い、空港駅へと続く連絡橋を走った。これに間に合えば、スペインの旅が何事もなく順調に終えられるような根拠のない予感がして、スーツケースを必死で引きずる。

改札前に到着し、慣れない券売機で乗車券を購入する時間も惜しかったため、窓口に10回券が欲しい旨伝え、受け取るとすぐに改札へ、乗車券を入れ、出てきた券を取り、ホームで出発を待ち構えている列車に飛び乗った。

市内へ向かう早朝の列車は空いていて、ゆったりと座席に腰を据える。ほどなく発車し、ほっと一息ついて車窓を眺めると、私の苦労をねぎらうかのようにバルセロナの美しい朝焼けが広がっていた。

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バルセロナ郊外の素朴な風景を窓に映しながら列車は進み、約20分かけてバルセロナの中央駅に到着した。

中央駅の広い構内を地下鉄乗り場を探してさまよっているとタクシー乗り場が目に入る。もうすでにホテルの近くまで来ていることや、重い荷物を持って地下におりてまたのぼる煩雑さ、スリに遭う危険性を考え、ここからサグラダ・ファミリアの近くのホテルまではタクシーで向かうことにした。

車窓からまだ人々が活動を始める前のバルセロナの街を眺め、時折Google Mapsで現在地を確かめる。タクシーは着実にホテルへと近づいていく。英語での意思疎通がうまくいかなかったのか、タクシーはホテルの前を通り過ぎてしまった。慌てて止め、下車、数ブロックを歩いて戻ることにした。

肌に感じるバルセロナの朝の空気はひんやりとしているものの、東京で感じるような暴力的な冷たさではなく、どこか優しい。

サグラダ・ファミリアのあるアシャンプラ地区は、京都と同様、碁盤の目状に区画整理されている。その碁盤の目を例外的に斜めに走るアベニーダ・ガウディという通りに差し掛かったとき、息を吞んだ。まさか、この景色を私に見せるためのあえてのオーバーランなのかタクシードライバー。通りの向こう、雲一つない青空を背景に、サグラダ・ファミリアが屹立していた。

サグラダ・ファミリアの主任彫刻家、外尾悦郎氏は著書『ガウディの伝言』でこう語っている。

——私が好きなのは、アベニーダ・ガウディと呼ばれる通りを少し下ったところから仰ぎ見るサグラダ・ファミリアですが、ここから見ると、手前にある六階、七階建ての四角い建物群をすべて睥睨して君臨する石の怪物に見える。遠近感が狂ってしまうほどの存在感があります。

図らずも外尾氏のお気に入りの景色をこのような形で見ることになり、私は感動すると同時に、今確かにバルセロナにいるのだ、という強い実感を抱いていた。

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ホテルに到着、チェックインは午後2時なので、ひとまず荷物を預かってもらい、早速サグラダ・ファミリアへと向かった。午前9時過ぎ、まだ早い時間帯で観光客もまばらである。サグラダ・ファミリアを間近で眺め、その迫力に圧倒された。細かい装飾が施された生誕のファサードを見上げ、少し離れ公園の池を挟んで眺める。反対側の受難のファサードに移動し、生誕のファサードとは異なる冷たい石の質感を、そこから受難の苦しみを感じる。「ダーリンダーリンいろんな角度から君を見てきた」と歌ったのは桜井和寿であるが、私もいろんな角度からサグラダ・ファミリアを眺めてみる。その外観の奥深さに飽きることがない。

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年が明けてから入ることになっている内部への期待を胸に、一度ホテルへと戻ることにした。サグラダ・ファミリアを間近で見ることで束の間忘れていた疲れは、着実に私に蓄積されていた。

ロビーのソファーで休む。このホテルを選んだ理由は、サグラダ・ファミリアに近く、屋上から(そして値段が高いので指定はしていなかったが一部の部屋からも)サグラダ・ファミリアが見えるからであった。チェックイン前であるが、一足先に屋上からの景色を楽しんでみようとエレベーターで昇ってみると、朝の太陽を背景に、正に後光が射す神々しいサグラダ・ファミリアが目に飛び込んできた。聖堂のちょうど裏側に当たる、あまり見慣れない側面ではあるが、それもまた一興。ここに泊まっている間はこの景色が見放題であり、時間を変えて何度も訪れようと思いながら再びロビーへ戻る。やはり疲労感は隠せない。再びソファーに腰を下ろし、チェックインの時間まで休むことにした。

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しばらくして、ホテルのスタッフが私に部屋の用意ができたことを告げる。まだ午前中である。そして荷物もすでに部屋に入れてあるという。なんというホスピタリティ。この旅初めての「グラシアス」が口をついて出た私は、カードキーを受け取り早速部屋へと向かう。特に指定はしていなかったが、窓からサグラダ・ファミリアが見える部屋で、ここでグラシアスのインフレが発生してしまった。

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ベッドに横になる。この日、グエル公園16時入場のチケットを購入していた。体力に余裕があればその前にガウディのライバルとも言われるモンタネールが建築したサン・パウ病院を訪れようと思っていたが、ここで無理をしてしまうと今やもう病院としての役割を終え文化遺産となっているサン・パウ病院に入院せざるを得ない状況になってしまうかも知れぬ。モンタネールには誠に申し訳ない、サン・パウ病院訪問は取りやめることにして、時間が許す限り疲れを癒すことに注力した。

15時半にホテルを出て、配車アプリ「mytaxi」でタクシーを呼ぶ。以前、ドイツはドルトムントを旅行中にあまりにも流しのタクシーが捕まらないためにその場でインストールしたアプリだが、これが本当に便利で、配車依頼時にアプリ上で行き先を指定するため、運転手との意思疎通の問題はなく、清算もアプリ上でクレジットカード決済ができる。やってきたタクシーに乗り、10分ほど走ってグエル公園に到着した。

グエル公園、グエル伯爵の依頼により、ガウディが設計した庭園都市。『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家をイメージしたと言われる小屋や、ディズニーリゾートが参考にしたとも言われる大階段などを見て回る。公園内の柱には道路整備のために掘削された石が使われ、色鮮やかなベンチには不良品のタイルが使われている。エコロジーという概念が登場する遥か以前からそれに取り組んでいたガウディ、彼の建築における思想は前述の外尾悦郎氏の著書を事前に読むことでぼんやり理解していたつもりであるが、滞在中、彼の建築物を実際に目で見ることでそれを実感していくことになる。それはまた後々語ることになるであろう。

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ホテルでゆっくり休んだおかげで、広大な公園の敷地内を歩き回る体力が残っていた。公園内で最も高い位置にあるゴルゴダの丘へと向かう。多くの観光客が夕日に染まるバルセロナの街を見ようと待機していた。私もそこにとどまり、サグラダ・ファミリアとは反対の方角に沈んでいく夕日を眺めていた。

列車内で見た朝日から、このグエル公園で見る夕日に至るまでの間、僅か二か所を訪れただけであるが、一日ガウディ建築にどっぷりつかったような気がする。そんなバルセロナの初日が終わろうとしている。

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グエル公園での落陽を見届け、この日見たガウディの建築物の数々を思い返しながらホテルへと戻る。

もうこれで本日は一日出来る限りガウディの作品は堪能しつくした、と思っていたが、日が落ちた後でさえガウディは私を魅了してやまなかった。再びホテルへと戻った私を、ライトアップされたサグラダ・ファミリアが出迎えてくれた。

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こうして私の、サグラダ・ファミリアで始まり、サグラダ・ファミリアで終わる日々が始まったのである。