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対岸の古寺(タイ篇3)

――バンコックは雨季だった。空気はいつも軽い雨滴を含んでいた。強い日ざしの中にも、しばしば雨滴が舞っていた。

三島由紀夫豊饒の海(三)暁の寺』の書き出しを、ちょうど雨季のバンコクを訪れた自分の境遇と重ねたかったけれど、幸か不幸かこの日は雨の降る気配は全くなく、乾いた空気の中を汗だくになりながら歩き回った。折り畳み傘とナイロンジャケットを日本から持ってきていたが、海外から招集されたのに出場機会をもらえないサッカー日本代表の選手のように、活躍の場を奪われベンチ、否、スーツケースの中でくすぶっていた。

今、私の手元には、バンコクを代表する寺院の入場券の半券が三枚、そして、それに混じって手書きのメモが一枚ある。灼熱の太陽の下、一枚そしてまた一枚と手に入れたそれらの紙には汗のにおいすらもこびりついているような気がする。この日体験したことが凝縮されているこれら一枚一枚について、私は語ろうと思う。

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睡眠時でも一瞬一瞬が惜しいという感覚がどこかにあるのか、目覚ましより先に眼を覚ましてしまった。カーテンを開くと、チャオプラヤ川の黄土色にワット・アルンの白が映え、寝ぼけ眼に眩しい。

朝食をとりにホテルのルーフトップレストラン「Above Riva」へ向かい、ワット・アルンがよく見える席に座る。パンやサラダ、ナッツ類、ソフトドリンクはビュッフェ、メインディッシュはオーダーという折衷型の朝食だった。因みにメインディッシュをいくら頼んでも同料金(300B少々、1,000円程度)で、精算はその場でもチェックアウト時でも可。メニューにタイ料理が少ないのが気になったが、街中に出ればいくらでも食べられるだろう。私はメインディッシュにエッグベネディクトをオーダーし、ワット・アルンを眺めながら食べる。これだけで既にバンコクを十分堪能していると思えるぐらい、贅沢な時間である。

東京国立博物館、タイの特別展で見た内容を思い返し、それを今日これから目の当たりにするのだと興奮した気持ちでホテルを出た。

8月8日の東京も暑く、灼熱の太陽が目の前に続くアスファルトの道を照らしていた。鶯谷の駅を出た私は東京国立博物館へ向かっていた。この時期に偶然、日タイ修好130周年記念特別展が開催されていたのである。30度を超える気温の中、蝉の声を受けながら歩いた道、それが今、ワット・ポーへと続くこの道にそのまま繋がっているかのような感覚を抱く。蝉の声はトゥクトゥクの客引きの声にかわっていたが、その裏に潜む「生」への渇望は共通しているようにも思える。

ホテルから徒歩約10分、ワット・ポーは巨大な寝釈迦とマッサージの総本山で有名な王室寺院である。100Bを支払い、飲料水引換券付きの入場券を受け取る。礼拝堂の空間を目いっぱい使って横たわる寝釈迦仏の、ちょうど地面についている肘部から礼拝堂に入ると、柱の隙間から寝釈迦仏の巨大な顔が現れ、その迫力に圧倒される。上半身から下半身へと移動、足の裏の螺鈿細工を拝んだ後は背面に回り、今度は足元から頭頂部へと、ちょうどその全長46mの大仏像を一周するような形で順路が組まれていた。この寝姿、釈迦が入滅したときの様子を表しているようで、休日にベッドに横になりテレビを見る私の姿とは似て非なるものである。寝釈迦仏の手元に黄金のリモコンなど、ない。

せっかくなので寝釈迦仏の周囲を二周し、礼拝堂から出て、境内の仏塔や回廊を見学した後、王宮へ徒歩で向かう。

王宮の周囲は喪服姿の弔問者で溢れかえっていた。ラーマ9世が昨年10月にご逝去されたのと関係があるのだろうか(後で知ったことだが、ご逝去から10ヶ月が経過した今でも休日の度に全国から弔問者が集まるという)。王宮入口はつまったケチャップのように人の動きがほとんどなく、私は王宮訪問を諦めることにした。

そこで私に襲い掛かってきたのが尿意である。周囲を見渡せどトイレはない。王宮内にはさすがにあるだろうが、いったいどれだけ待てば中に入れるのだろう。警備員にトイレの場所を訊いてみるがなかなか英語が通じず、何人目かでようやく東の方角を指し示された。果たしてちゃんと通じていたのか分からないが、私にできることはただその方角へ進むだけであった。

歩いた。もはや周囲には観光客の姿はなく、ただ喪服姿の弔問者の中を私は歩いた。法事の招待状「平服でお越しください」に対し、私服で行ってしまったような居心地の悪さと尿意を抱えながら、ひたすら歩いた。トイレはなかなか見つからず、代わりにセブン・イレブンが目に入る。期待と共に中に入ってみるが、日本のように誰もが自由に使えるトイレなどなかった。仕方なく外に出ると、トゥクトゥクの運転手が声をかけてくる。英語でトイレの場所を訊いてみたが、ここでも通じない。仕方なく、鞄から地球の歩き方を取り出し、「旅の単語帳1001」のページの「トイレ ホーン・ナーム ห้องน้ำ」を指差すと、運転手は分かったという顔でセブン・イレブンの裏の方を指し示す。

あった。

かくして私のトイレクエストは無事終了。私の興味関心はトイレからバンコクの寺院へと戻り、トイレの場所を教えてくれた運転手のトゥクトゥクがこのタイ旅行初めてのトゥクトゥク体験となった。

トゥクトゥクに乗って頬に受ける風はどうしてかくも爽やかなのか。カンボジアで遺跡巡りをしていたことを思い返しながら、私はラーマ1世によって建立された王宮寺院、ワット・スタットへと向かった。東京国立博物館で開催されているタイ特別展の目玉、ラーマ2世王作の大扉は元はこの寺院の正面を飾っていたものである。1959年の火災で一部焼失した後、バンコク国立博物館に移された。2013 年から日タイで協力し保存修理作業を進め、この度、日本で展示されることになったとのことである。

ワット・スタットのチケット売り場は閉まっていた。もしかして入れないのか、と不安を抱えながら敷地内に恐る恐る入ってみると、どうやら建物の改装工事中のため入場料を取っていないようである。ただ、礼拝堂の中には入ることができた。中には巨大な仏像が鎮座しており、その前には礼拝を行う人々。建物の内側に折り返された巨大な扉は、東京国立博物館で見たものと同様、草花が重層的に表現され豪華絢爛たる壮大さであった。上野にあるあの大扉が、以前はここにあったのだ、という感慨深い想いを抱きながらワット・スタットを出る。

次の目的地へ向かおうとしたところで中年男性に声をかけられた。小綺麗な恰好をしたその男性は、ワット・スタットの向かい側にあるバンコク・シティ・センターを指さし「私はあそこの役員だ」と言う。次の目的地を訊かれ「ワット・スラケート」と答えると「あそこは午後三時まで儀式のため入れない。それまで運河を巡るツアーに参加してはどうか」と言う。ここに来る途中、王宮周辺の多くの弔問客を目にしていた私は、素直にその男性の言葉に耳を傾ける。男性が白紙を取り出し、そのツアーについて説明をしながら書き込んでくれた。私が宿泊しているホテル近くの船着場から船でワット・アルンを訪れ、その後運河を巡る1時間のツアー。船着場のツアーの主催者に「How much?」と値段を訊くと外国人価格の3,000Bを取られるので、タイ語で「TAORAI?」と訊け、そうすれば1,800Bでツアーに参加できる、とまで親切丁寧にアドバイスしてくれる。ツアーに参加する気はないが、ワット・アルンには訪れようと思っていたので、ワット・スラケートに入れないのであれば先にそこを訪れよう、そう思ったところで折よく通りかかるトゥクトゥク。そして、30Bという破格の値段で、私は船着場へと移動することになる。

船着場に到着した私に男性が声をかけてくる。ツアーの勧誘らしいが「自分はワット・アルンだけでいいんだ」と主張すると「じゃ、隣の船着場だな」と言われ、移動する。すると、ここまで乗せてくれたトゥクトゥクの運転手がしつこく私に「ツアーに参加しないのか?」と問いかけてくる。

そこでようやく、騙されかけていた自分に気づいた。この問題、進研ゼミでやったやつだ! もとい、この状況、地球の歩き方に載ってたやつだ!

街中で声をかけられ、行き先を告げると「そこは今日は休みだ」と言われ、宝石商を紹介される。「ガバメントのショップ」「政府公認免税特売の最終日」など嘘を並べて旅行者をその気にさせる。宝石店に行けば店員が「ここで宝石を買い日本で売ると利益になる」などと言葉巧みに誘うのである。

王宮周辺でたくさんの弔問客を見たことに加え、応用編だったことで、まんまと騙されてしまいそうになっていた。声をかけてきた自称役員とトゥクトゥクの運転手と船着場の男性は共謀者だったのだ。気を引き締めていれば騙されることはないだろう、そんなことは対岸の火事だと思っていたが、煙が川を越えて私の鼻をかすめていく。破格の値段だったとはいえ、交通費と時間を無駄にしてしまった。

このまま対岸のワット・アルンへと向かってもよかったのだが、午前中は川のこちら側を巡る予定を立てていたので、再びトゥクトゥクを拾い、ワット・スラケートへ移動。入れないなんてことはないはずだ、との想いで到着してみると、ワット・スラケートは開放されていたのである。20Bを支払い、入場券を受け取った。

ワット・スラケート、小高い丘の上に建つ黄金の大仏塔で有名な王室寺院。市街地を一望できる尖頭部までは延々と続く階段を上らなければならない。見ざる言わざる聞かざるの歓迎を受け、私は一歩を踏み出す。

前日、台北で訪れた中正紀念堂前の階段は蒋介石の享年と同じ89段、ここワット・スラケートは約4倍の344段である。上るにつれ、バンコクの街が低くなっていく。古い寺院の遥か向こうにはオフィスビルが立ち並び、キューブがズレたような独特の外観を持つマハーナコーンの姿も見える。そして中央に黄金の仏塔が建つ頂上のテラスに出た。市街地を見渡してみると、建物の壁面にラーマ9世の巨大な写真が掲げられており、「王国」としてのタイの姿を垣間見ることができた。王室を敬うことはタイ人にとって当然のことであり、8:00と18:00の1日2回、公共の場所では国歌が流され、その間は直立不動の姿勢を保たなければならないのだ。

太陽は空の高い位置から私を照らしていた。お昼時、ワット・スラケートを出た私はトゥクトゥクをつかまえてカオサン通りへ移動する。外国人バックパッカー向け安宿街として発展したカオサン通り沿いは今、レストランやショップが立ち並んでいる。入り口にはバーガーキング、少し通りを進むとドナルドが手を合わせて挨拶をしているマクドナルド、好きなファーストフード店に心を惹かれながらも、せっかくバンコクに来たのだからと、通りで売られている食用サソリを食す、ことまではせずに、一軒のレストランでパッタイを頼む。あまりの暑さに食欲がなく、アップルソーダの炭酸だけが体に染み渡っていく心地がする。

食後、トゥクトゥクをつかまえて船着場へと向かった。船賃4Bを支払い、デッキに立つとチャオプラヤ川を挟んで対岸にワット・アルンが見える。三島由紀夫の小説の舞台となったその寺院がまるで私を手招きしているかのように、目の前にはちょうど出航間際の船が待ち構えていた。船に揺られながら、次第に存在感を増していく仏塔を見つめる。目の前を何艘もの船が通り過ぎていく。ふと後方に目をやると、私が宿泊しているホテルのレストラン、そして私の部屋までもが見える。

対岸に到着し、ワット・アルンへと歩みを進める。目に入るラーマ9世の記念碑、そしてその向こうにワット・アルンの大仏塔が憎々しいほど晴れ渡った空を背景に高くそびえていた。50Bで入場券を購入し中に入る。仏塔の表面には無数の陶片が埋め込まれており、日差しを受けて輝いていた。台座から尖頭まで続くそのきめ細かな装飾に気が遠くなるようである。

昭和四十二年にインド政府の招待によりインドを訪れ、帰途、ラオスとタイを訪れた三島由紀夫、一体ここで何を感じ、何故ここを作品の舞台に選んだのだろう。 

再び船に乗ってホテルへと戻る。ホテルの部屋から、先ほど汗だくになりながら歩き回ったワット・アルンが見える。チャオプラヤ川を挟んだ対岸までの距離が、近いようにも遠いようにも思える。私がこの寺院の本当の魅力を理解するにはまだ知識や教養に欠けているであろう。しかし、三島の心を揺さぶったこの寺院の魅力の片鱗を味わえたような気がする。

夕日はワット・アルンの右側を、水面を橙色に染めながらゆっくりと沈んでいく。青空を背景に純白に輝いていたワット・アルンは今や黒い影となっている。しかしそれが再び輝きだす瞬間、ライトアップの時を冷房の効いた部屋でじっと待っていた。