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I'm lovin' it

数日前、SNSを見ていると、私のフライドポテト愛が試される記事が目に飛び込んできた。特に目新しいこともないように思えるこの記事を目にして、今、私は語ろうと思う。私とフライドポテトの、わざわざ一つの記事にするまでもないどうでもいい話を。

forbesjapan.com

 

私の実家は鹿児島県の某離島にあり、高校を卒業するまでそこで暮らした。コンビニもファーストフード店もない片田舎である。実家のテレビをつけると、鹿児島県はあくまでも本土を拠点とするテレビ局は、山形屋(鹿児島の老舗百貨店)やマクドナルドのCMを、それを享受できない島民にも無慈悲に垂れ流す。僅か1~2メートル先の画面に映し出されるファーストフードまでの距離は果てしなく遠く、その間には東シナ海が横たわっていた。マックかマクドかマクナルか、それ以前にこの言葉を発する機会すら与えられない、論争に参加する権利すら与えられない、未だに永世中立を保っている地域の出身である。今、私がファーストフードを(とりわけフライドポテトを)愛するのは、この頃の経験があるからなのだろうか。テレビに映し出されるファーストフードは都会への憧れとほぼ同義だった。

都会に出てきてからというもの、手を伸ばせば届く距離にフライドポテトがあった。様々なフライドポテトを食べ歩いた。マクドナルド、ファーストキッチン、ケンタッキー等のファーストフード店、ファミリーマートセブンイレブン等のコンビニエンスストア……。「都会への憧れ」をひたすら摂取し、気が付けばいつの間にか都会の絵の具に染まっていたのである……! 油拭く木綿のハンカチーフください。

フライドポテトが体に悪いことなど、重々承知だった。それでも健康を顧みずに食べ続けることができたのは若さの特権か。

ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、カート・コバーン、短い人生の中で自らの才気を爆発させ、儚くも散っていく彼らの生き様に憧れを抱いていたこともあったかも知れない。やりたいことをやって、食べたいものを食べればいいのだ。

しかし、爆発させる才気の雷管も導火線も火種もなく、だらだらと生きながらえて30代も半ばを迎えようとしている今、特に新鮮味のない上の記事に恐れおののく私は、心の片隅に「長生きがしたい」という至極まっとうな欲望が潜んでいることに気付き、戦慄した。

本日もまた、ツイッターで、テレビで、マクドナルドの広告が私の目を捉え、「食べたい」と思うのと同時に先に読んだ記事が脳裏をよぎる。それでも「自宅からマクドナルドまで僅か徒歩五分」という事実に結局私は玄関のドアを開けてしまう。今こそ、私とマクドナルドの間には洋々たる東シナ海が広がっていなければならなかった……! 夏の肌を射るような太陽だけが私の健康を気にかけているようで、引き返せと私に耳打ちする。それでも私は歩く。

真夏の屋外から足を踏み入れるマクドナルドの店内は冷房が効いており、それ以上に涼し気なクルーのスマイル。ここは天国かはたまた地獄か。私は季節限定メニューのチーズロコモコのセットを頼んだ。

セットを受け取り、席について、ポテトを口に運ぶ。それは、適度な塩味に加え「背徳感」というスパイスを得て、なお一層旨味が増したように感ずるのであった。