日記なんかつけてみたりして

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くるりとのこと

それは、河合神社の片隅にひっそりと建っていた。「広さはわづかに方丈、高さは七尺がうち也。」と『方丈記』に記されている通り、わずか四畳半ほどで高さは約2m、茅葺き屋根の質素な小屋である。 京都で様々な災害を経験した『方丈記』の著者、鴨長明は、世…

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 決して雪が降ることのない香港への旅行の記事をこのように書き始めるのが正しいか分からないが、私は香港へと向かう旅客機の中で川端康成『雪国』を読んでいた。 過去、タイのバンコクへ向かう機内では、そこが…

ミュンヘンは輝いていた(ドイツ篇1)

――ミュンヘンは輝いていた。この首都の晴れがましい広場や白い柱堂、昔ごのみの記念碑やバロック風の寺院、ほとばしる噴水や宮殿や遊園などの上には、青絹の空が照り渡りながらひろがっているし、そのひろやかな、明るい、緑で囲まれた、よく整った遠景は、…

帰省のはなし

旅客機は島の海岸線沿いを飛行していた。窓の外を見ると、けたたましい音で回転するプロペラの向こうに、海岸線に打ち寄せる波、区画整理された田畑が見える。徐々に高度を下げる旅客機、このまま田畑に突っ込むのではないかというところで突如アスファルト…

検索ちゃん(タイ篇5)

タイ旅行記五日目。この日は特に書くことなどないだろうと思っていた。というのもLCCの深夜便で現地を発ち、早朝に帰国するだけの日だからである。それでもこうして書いているからには何か旅の終わりに重大な出来事があったのか、はたまた特になかったけれど…

タイミング(タイ篇4)

朝起きて、顔を洗い、歯を磨き、トイレに行き、そんな毎朝のルーティーンに「カーテンを開いて対岸のワット・アルンを眺める」が加わるとしたら、どんなに素晴らしいことだろう、と思いながら昨日と同様にその行為を行う。二回目の今朝が最後、「ルーティー…

対岸の古寺(タイ篇3)

――バンコックは雨季だった。空気はいつも軽い雨滴を含んでいた。強い日ざしの中にも、しばしば雨滴が舞っていた。 三島由紀夫『豊饒の海(三)暁の寺』の書き出しを、ちょうど雨季のバンコクを訪れた自分の境遇と重ねたかったけれど、幸か不幸かこの日は雨の…

シンデレラボーイ(タイ篇2)

日本語が飛び交っていた。 ホテルの部屋から朝食会場に向かっている途中で国境をひょいと跨いでしまったのではないか、と思うほど多くの日本人宿泊客がビュッフェを前に目を輝かせている。日本の夏休みの時期に、日本語を話すスタッフを多く擁するここコスモ…

はじめの一兎(タイ篇1)

「お盆休みには地元に帰るの?」会社の先輩にそう訊かれ「いえ、帰りません」と答えたのは一ヶ月前だったか二ヶ月前だったか。しかし、定刻を少し過ぎて20時に成田空港を発った旅客機は私の地元の方角、南西へと飛んでいた。格安航空会社のタイガーエアの旅…

I'm lovin' it

数日前、SNSを見ていると、私のフライドポテト愛が試される記事が目に飛び込んできた。特に目新しいこともないように思えるこの記事を目にして、今、私は語ろうと思う。私とフライドポテトの、わざわざ一つの記事にするまでもないどうでもいい話を。 forbesj…

今村夏子『星の子』について

正直、私ごときの影響力ほぼゼロ人間がここでどんなに今村夏子のことを持ち上げても(逆に蔑んでも)、この人はいずれ芥川賞を取って有名になってしまうだろうから、この記事にどれほどの価値があるのか分からない。ただ、ここまで胸をえぐってくる作家はそ…

旅のラゴス(カンボジア篇5)

現地時間午前二時半、フィリピンはマニラにあるニノイ・アキノ国際空港、セブパシフィック航空の機体から死んだ魚の眼をした人々が降りてくる。この人々、三時間前にシェムリアップ国際空港で狭い機体に押し込められ、身動きの取れない状況で連れてこられた…

プノン・クロムで見る夕日(カンボジア篇4)

若者には時間と活力があってお金がない。大人にはお金と活力があって時間がない。老人には時間とお金があって活力がない。そんな図を某SNSで見かけて、人の一生にはすべての要素が満ち足りている時期がないのか、と暗澹たる気分になったことがあった。それで…

ロックフェス(カンボジア篇3)

暗闇の中、iPhoneの懐中電灯機能を頼りに歩く。視覚からの情報の不足を昨日の記憶が手助けする。参道の石組みはガタガタで――これは一方から力がかかってもそれを分散させる工夫らしいが――ところどころ水が溜まっていて、足を取られないように慎重に歩みを進…

フルマラソンのランナーのように(カンボジア篇2)

朝、九龍公園を散歩していると太極拳に勤しむ集団を目にし、見よう見まねでそれに混じる、一汗かいたところで行きつけのレストランで朝の飲茶、小籠包のスープが疲れた体に染み入る、これは私の理想的な朝の香港の過ごし方であるが、実際のところは惰眠を貪…

夏に着る着物(カンボジア篇1)

――死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい 縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 太宰治『葉』の書き出しの文章を反…