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聖堂内部(スペイン篇5)

目的地の近くまで来ているものの、なかなかそこに入れずに翻弄され続ける、そんな小説をフランツ・カフカが書いていたような気がするが、私も同じような状況に陥っていた。サグラダ・ファミリア聖堂のすぐ近くに、しかも部屋から見えるほど近くに滞在しているにもかかわらず、その内部に入れずやきもきしていた。ただ、カフカの小説の主人公、測量士Kと私が違うのは、私にはきちんとした名前と本日の日付が印字されたチケットがあった。

本来であれば、バルセロナ到着翌日にでも聖堂の内部に入りたかったのだが、希望する日時のチケットが完売、結局、帰国日前日のこの日にようやく内部潜入が許されることになっていたのだった。

チケットに記載された時刻、10:30の少し前にホテルを出て、歩いてすぐの大聖堂へ向かう。空港と同じような手荷物検査を受け入場、オーディオガイドを受け取って、これまで少し離れた場所から眺めるだけだった生誕のファサードの前に立った。

聖母マリアの戴冠、受胎告知、マリアとヨセフの婚姻……、聖書の場面が精緻な彫刻で表現されていて、目を奪われる。オーディオガイドの音声が視覚からの情報量に追い付かず、馬耳東風。イエス生誕の喜びが石に宿ったような、その見事な彫刻をじっくり眺めた。 

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二ヵ月前のことを思い返していた。スペインに行こうかどうしようかまだ迷っていたその時期、ふとテレビをつけてみると、サグラダ・ファミリアが映し出されていた。「池上彰の世界を歩く 情熱の国スペインの光と影」と銘打ったその番組では、ゲルニカ制作の背景やスペイン内戦の傷跡から、カタルーニャ地方の文化に至るまで、現代のスペインを知るための情報が二時間に凝縮されていた。迷っていた私は背中を勢いよく闘牛に押されたような格好でスペイン行きを決めたわけである。

その番組の中で、池上彰サグラダ・ファミリアについて口にした言葉が心に残っていた。「サグラダ・ファミリアキリスト教の布教のメディアだ」。マスメディアが発達していなかった当時、他の追随を許さない壮大な建物を作り、人々に来てもらい、外観に表現されている聖書のエピソードを読み取ってもらう、詳しく分からずとも興味を持ってもらう、というのは布教のためのとても有効な手段だと思う。SNSを含めたマスメディアがここまで発達した現代においても、簡単に消費されて忘れ去られる情報の中で、未だなお人々の心に訴えかける効果的な手段ではないか。かく言う私も、もっとキリスト教について造詣が深ければ、という自責の念にかられる。私自身、カトリック系の大学を卒業し、キリスト教の講義が必須科目だったにもかかわらず、外国人の教授が片言の日本語で聖書をなぞるだけの授業内容は馬耳東風、感じたのは、キリスト教への興味ではなく眠気であった。当時の私をここに連れてくることができたら、何か違っていたのかもしれない。

とはいえ、ガウディ自身も二代目のサグラダ・ファミリアの主任建築家となって以降、キリスト教の知識を深め、司祭と深い議論を交わすまでになったという。何事も遅すぎるということはない。

内部へ足を踏み入れる。鐘楼に登るエレベーターの時間10:45が迫っていたため、ステンドグラスから光が差し込む幻想的な空間を堪能するのは後にして、エレベーター乗り場へ。そこから一気に高さ50mの地点まで昇る。なお、塔に昇るエレベーター付きのチケットは、購入時に生誕のファサード側の塔か、受難のファサード側の塔かを選ぶことになっていた。私が選んだ生誕のファサードの塔からは、バルセロナの住宅街と、遠く新開発地域の高層ビルが見えた。眼下には公園と池、そこから観光客が聖堂を見上げている。

戻りは巻貝状の螺旋階段を下っていく。小窓から見えるバルセロナの街並みがどんどん低くなっていく。途中、主任彫刻家である外尾悦郎氏が手掛けたフルーツ群の彫刻も見える。

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そして再び聖堂内部。樹木のように枝分かれした柱が天井を支え、ステンドグラスを通した色鮮やかな光が差し込む。聖堂と言うより、巨大な森の中にいる感覚を抱く。これまでガウディの作品群を見る中で、自然界のデザインをベースにしていることをこの目で確かめてきたが、まさにその集大成とも言える空間に包まれる。バルセロナ到着後、なるべく早くこの空間を訪れたかった。しかし、グエル公園カサ・バトリョカサ・ミラ、とほぼ時系列順に彼の作品を見ることで、より一層サグラダ・ファミリアの素晴らしさに気づくことができたような気がする。

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反対側、受難のファサードに出る。日が落ちる西側に面したこの門は、生誕のファサードとは異なり、装飾を排除してキリストの受難の苦しみを表現している。彫刻は、左下からS字をなぞるように見ていくと磔刑前夜の出来事、ゴルゴダの丘への道、イエスの死と埋葬、と聖書の順番をたどることができる。まさに石で作られた聖書である。

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サグラダ・ファミリア地下にある博物館へ。聖堂の建築の歴史や、ガウディの残したスケッチなどが展示されていた。中でも目を引くのが、網状の糸に重りを取り付けた逆さづりの模型である。これを180度反転させたものが自らの重みを自らの形だけで支えるのに最も効率的な構造だとガウディは考え、その通りに建物をデザインしている。その点、重力に逆らって力づくで壁を支えるケルン大聖堂のような建物とはコンセプトが全く異なるのである。

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たっぷり時間を取ってサグラダ・ファミリアの内部を堪能した。外に出て、サグラダ・ファミリアを仰ぎ見る。内部を見た後ではまた違う印象を受ける。ガウディの亡き後も、ガウディの意志を継いだ数多くの人々が携わってきた他に類を見ない建築物。その瞬間も刻一刻と完成へと向けて工事が進められていた。

そして私は、次の目的地へと向かう。

午後はモンジュイック城を訪れた。地下鉄でスペイン広場へ、そこからバスに乗り、山道を進んだ先に現れる要塞。フランコ政権下で獄舎として使われたここは、カルロス・ルイス・サフォン『風の影』という小説にもたびたび処刑場としてその名が登場する場所である。

ただ、現在はそのようなおどろおどろしい雰囲気は消え去り、城のテラスからはバルセロナの街並みと地中海を見渡すことができる。遠くにサグラダ・ファミリアの姿を認め、このバルセロナという街がいかに区画整理され、高さまでも制限されている街であるかが分かる。ここ数日でバルセロナの街を駆けずり回ったが、まだまだ知らない観光スポットが、お店が、路地がたくさんあるのだと、バルセロナの街を一望して途方に暮れる。

カモメが飛んできて、城壁の上にとまった。歩みに合わせてしばらくカメラのレンズを向けると、遠くへ飛んで行ってしまった。

あっという間の五日間、私も明日、ここを飛び立たねばならない。 

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