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マドリード(スペイン篇4)

一歩足を踏み入れたとき、これまでの部屋とは空気が変わったような気がした。目の前には人だかりができていて、人々の頭越しに巨大な絵の上部が見える。

人混みをゆっくりかき分けて、絵の前に進む。幕が少しずつ開いていくように、絵画の全貌が眼の前に現れる。

巨大な横長のキャンバスの左側に描かれているのは牡牛、子供を抱いて泣き叫ぶ女、横たわる兵士、そして、中央にはランプのような爆弾のような光源の下でいななく馬、その右側には灯を手に窓から身を乗り出す女、駆け寄る女、建物から落ちる女……。

その構図は、何度も目にしてきたはずだった。それでも、実物を見て胸が震えた。

私は、ソフィア王妃芸術センターの206号室でその絵に圧倒され、立ち尽くしていた。

 

パブロ・ピカソゲルニカ」、私にとってはただ絵面と絵画名がかろうじて一致する程度だったその作品に明確な意味が付与されたのは、原田マハの小説『暗幕のゲルニカ』を読んだことがきっかけである。

この小説は、現代と過去の話が交互に語られ、二つの物語が収斂していくという構造を持っている。

現代のパートの主人公は、ニューヨーク近代美術館のキュレーターである日本人女性。その女性がアートの力で平和を訴えようとゲルニカに迫っていく。イラクに対する武力行使を容認した安全保障理事会、その会見場の壁に掛かっていたはずのゲルニカタペストリーに暗幕がかけられていた。作中に登場する場面であるが、2003年実際にイラク空爆前夜に起こった出来事であり、これが『暗幕のゲルニカ』を書くきっかけだったと著者は語っている。

過去のパートの舞台はスペイン内戦中のパリ。スペイン北部の町、ゲルニカに対するドイツ軍の無差別空爆を知ったピカソが、パリ万博に出展する作品としてゲルニカ制作に取り掛かる。ピカソがこの絵画に込めた想いが作品を通して伝わってくる。

原田マハ氏は刊行記念インタビューゲルニカについてこう語っている。「絵画なんだけど、ドキュメンタリー。忘れたい、でも忘れてはいけない出来事」。優れた芸術作品は、真実以上に真実を語りかけてくることがある、と私も常々思う。

もし『暗幕のゲルニカ』に出会わなかったら、私はバルセロナから足を延ばしてマドリードまで来なかったかも知れない。マドリード行きのAVE(スペイン高速鉄道)を日本で予約し、朝7時バルセロナ発の便に乗り込み、機内食のような朝食を取り、マドリードの駅に到着し、冷たい空気に震え、駅から歩いてすぐのソフィア王妃芸術センターへ向かうことはなかったのかも。この『暗幕のゲルニカ』に魅力を感じ、この作品の向こうに「ゲルニカ」の魅力を感じた。そして今、目の前にある「ゲルニカ」に魂を揺さぶられている。怒り、哀しみ、絶望、様々な感情が絵を通して流れ込んでくる。

前述のインタビューを、原田マハ氏はこんな言葉で締めくくっている。

――実際は、美術が戦争を直接止められることはないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど「止められるかもしれない」と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことができる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求しています。

確かに、今始まろうとしている、或いは進行中の戦争を止める力はアートにはないかもしれない。だけど、戦争を引き起こすきっかけのきっかけのきっかけとなる小さな萌芽ぐらいは摘むことはできるのではないかと、ゲルニカを前にするとそんなことを信じたくなってくる。

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15時半、マドリードからトレドへと向かうバスに揺られていた。「スペインに一日しかいられないのであればトレドへ行け」そんな格言があるぐらいスペインの歴史や文化が凝縮された町、トレド。マドリード訪問のついでに何とか行けないかと考えた結果、マドリード発のバスツアーに参加することにしたのだった。

ほとんど事前知識なしで参加した分、日本語ガイドの説明が興味深い。トレドにもリーガ・エスパニョーラの3部に所属するサッカークラブがあり、過去に一度、国王杯でレアル・マドリードに勝利するというジャイアントキリングを成し遂げたことがあるとか。また、日本人で初めてトレドを訪れたのは、1582年に九州のキリシタン大名の名代としてローマに派遣された四人の少年たちで、途中トレドを訪れた際、初めての日本人を一目見ようとする人々で街はごった返したとか。その他、ごく一般的なトレド情報についてはWikipediaを参照されたい。ガイドの説明にじっくり耳を傾け、帰りの車内で抜き打ちテストがあっても首席で卒業できるほどであった。

一時間ほどでトレドに到着。もはや慣れているのだろう、この21世紀にトレドの町を歩く我々日本人の集団に、人々は好奇の目を寄せることはない。展望台からトレドの全景を眺め、大聖堂の荘厳さに圧倒され、サント・トメ教会でエル・グレコの絵画「オルガス伯の埋葬」を鑑賞する。午後からの半日ツアーだったため、駆け足での観光となり、この文章もどこか駆け足気味だが、いつかまたゆっくりと訪れてみたい。可能であれば宿泊し、細く入り組んだ路地を迷子になりながら歩くのも楽しそうであるが、私はすでに人生の迷子である。

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再びマドリードへ。解散場所のグラン・ビア通りからマドリードの中央駅へタクシーで移動する。渋滞に巻き込まれ、のんびり車窓から街並みを見つめる。ネオンに輝くマドリードの街は、どことなく銀座のような印象を抱く。

駅に到着、手荷物検査を終え、21:25発のAVEに乗り込んだ。

結局、マドリードでまともに観光したのはソフィア王妃芸術センターのみだった。「銀座のよう」ではなく、マドリード固有の印象を抱くには滞在時間が短すぎたような気がする。いや、たとえ長かったとしても、美術館が乱立するこの街を堪能できるほどの素養が私にはあるのか。

ただ、美術には門外漢の私が、ここマドリードで一枚の絵画に感動できたこと。その絵の制作過程を、その絵に込められた意味を知ることで、そんな私でも胸を打たれるのだということを知った。

往復ともに一等車なので食事付きである。ドリンクのリストにカバ(スペイン製スパークリングワイン)を見つけ、オーダーする。

濃い一日だった。そして、カバのアルコールも濃いのか、或いは私が疲れているだけなのか、酔いが心地よく回ってくる。

AVEは時速300kmでマドリードから、ゲルニカから離れていく。