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タイミング(タイ篇4)

朝起きて、顔を洗い、歯を磨き、トイレに行き、そんな毎朝のルーティーンに「カーテンを開いて対岸のワット・アルンを眺める」が加わるとしたら、どんなに素晴らしいことだろう、と思いながら昨日と同様にその行為を行う。二回目の今朝が最後、「ルーティーン」と呼ぶにはあまりにもその機会が少なかった。短すぎたバンコクでの時間、本日23:45の便で日本へ帰国することになっていた。

ワット・アルンは昨日と同様、好天の下、存在感を主張していた。壁面の白、それが実は細かい陶片が緻密に組み合わされて築かれていることは、近づいて初めて気付くことである。悠長に対岸を眺めていたい、という思いと、残された時間でバンコクを満喫しなければ、という思いが交錯し、結局午前中のうちにホテルをチェックアウト、灼熱の太陽の下へと踏み出す。

まず向かったのは、昨日多くの弔問客のため入ることができなかった王宮/ワット・プラケオである。さすがに月曜日ともなると、つまっていたケチャップがドバドバと、とまではいかなかった。入口で係員による服装チェックが行われていた。王室関係の施設には肌を露出する服装(ノースリーブや短パン、ミニスカート)では入れないのだ。それでも割とスムーズに、校門前で待ち構える体育教師のような係員のチェックを通り抜け、校内に、否、構内に入る。昔も今も私は風紀を乱すことがない優等生タイプである。

タイで最も格式が高いと言われる王室寺院、ワット・プラケオ。チケットを購入し中へ入ると、仙人の像に迎えられる。テラス上には豪壮な建築群が並び、回廊にはインドの叙事詩ラーマーヤナ』をタイ風に翻案した『ラーマキエン』が描かれていた。アンコール・ワットの模型もあり、ゴールデンウィークに訪れたシェムリアップでの出来事を思い返す。汗をぬぐいながら見て回ったアンコール・ワット、あの時と同じような肌にまとわりつくような暑さの中、ワット・プラケオの構内を歩き回る。ワット・プラケオの本堂内は撮影禁止で、エメラルド仏が安置されている。その仏像を目に焼き付けた後、ワット・プラケオを後にした。

トゥクトゥクを捕まえて、ワット・ベーンチャマボピットへ向かった。この王室寺院は「大理石寺院」とも呼ばれており、屋根瓦を除きほとんどの建材に大理石が使用されているという。三島由紀夫暁の寺』の最初に登場する寺院であり、その緻密な描写に圧倒されたのは先の記事で述べた通りである。

トゥクトゥクを降り、門をくぐると、建物の壁面の大理石の白に、屋根の橙色が対比を見せ、目に鮮やかに飛び込んできた。本堂内、黄金に輝く仏像を拝んだ後、回廊に並ぶさまざまな仏像を見て回る。『暁の寺』では摂政の参詣の場面が登場する。その場所に今自分がいるのだという感慨深い思いを抱く。

そろそろここを去ろうかと思っていた矢先、私の目は寺院の近くでアイスクリームを売る男性にひきつけられた。チョコレートのアイスバーを購入し、口に含むと冷たさと甘さが体に染み入る。

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再びトゥクトゥクでホテル近くへと戻り、カフェでアップルソーダとパクチーの効いた米の麺を食べる。『TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS』が流れる店内で、日本に帰りたくないという想いを抱きながら麺をすすった。その後『IMAGINE』へと曲が変わる。翌々日から仕事であることが私には想像できない。

一度ホテルに戻る。半日の観光ですでに汗だくの私。ウェブ上の口コミに書いてあったので恐る恐る訊いてみると、チェックアウト後に空いている部屋のシャワーを使わせてもらえることになった。他にこんなサービスを提供してくれるホテルなんてあるのだろうか。深夜便で帰る私にとって、事前にシャワーを浴びているのといないのとでは機内での快適度がだいぶ違う。Riva Arun Bangkok、比較的新しいホテルだからか最新版の地球の歩き方にも掲載されていないが、ウェブ上の口コミで世界各国から賞賛の声が届くのも頷ける。

シャワーを浴び、荷物を受け取った私は、このホテルに対して目いっぱいのコップンカップの気持ちを抱き、ホテルに手配してもらったタクシーに乗り込んだ。旅の最終目的地はプロンポン駅。バンコク在住の友人と夕食をとることになっていた。

タクシーの運転手はかなり高齢の男性だった。車内ではThe Beatles『Get Back』が流れ、Paulが「帰ってこいよ 元いた場所に」と歌っていた。帰国の時間が迫っていた。

車窓から見える景色、バンコクの古い町並みはいつの間にか高層ビルに変わっていた。急に強い雨が車体を打ち付ける。スコール。そうだ、バンコクは雨季なのだ。あまりに好天に恵まれていたため、そのことを忘れていた。タクシーに乗っているときにスコールに遭うというのはなんてタイミングに恵まれた旅であろう。そもそも、数年もの間工事中だったワット・アルンの足場が外されたのもこの八月に入ってからである。更には、上野の国立博物館でタイの特別展を見に行った際、チケット売り場の前で見知らぬおじさんに声をかけられて無料でチケットをもらった。あの瞬間から、タイが両手を広げて私を歓迎していたかも知れぬ。

目的地へと到着し、タクシーを降りたその時、スコールはやんでいた。

久々に会う大学時代の友人とステーキを食べる。同じ時期にタイを訪れていた友人の知り合いも交えてテーブルを囲む。美味しい牛肉を堪能したが、私はまだタイという国を堪能し尽していない気がする。アユタヤ、ワット・パークナムに、チャイナタウン、気になっていたが行けなかった場所がたくさんある。いつかまた私はここを訪れなければならない。空港へ向かうタクシーの車中、名残惜しさとともに使命感のようなものを感じていた。