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フルマラソンのランナーのように(カンボジア篇2)

朝、九龍公園を散歩していると太極拳に勤しむ集団を目にし、見よう見まねでそれに混じる、一汗かいたところで行きつけのレストランで朝の飲茶、小籠包のスープが疲れた体に染み入る、これは私の理想的な朝の香港の過ごし方であるが、実際のところは惰眠を貪っていた。昨夜「小心地滑」の看板を気にすることなく駆け足で香港を見て回ったが、あくまでも旅の目的はカンボジアであり、香港で体力を使い果たしてはならぬ。私はもう疲れ知らずの20代ではない。フルマラソンのランナーのようにペース配分に気を配り、笑顔でゴールテープを切らなければならない。

十分に睡眠を取った私は9時頃にホテルをチェックアウトし、タクシーで九龍駅へ向かった。車窓から見える香港島のビル群を厚い雲が覆っている。そして、エアポートエクスプレスで空港へと向かっている最中、降り出した雨の水滴が窓を斜めに走っていく。

香港国際空港に到着、スムーズに手続きを終え、搭乗口近くで出発時刻を待つ。しかし、所定の時刻を過ぎてもなかなか搭乗開始とならない。LCC名物のひとつ「遅延」である。現地でピックアップに来てくれるはずのまだ見ぬホテルのスタッフのうんざりした顔を想像する。天候のせいなのかはたまた他の要因か。僅か17時間の滞在を香港が引き止めているようで「香港を愛し、香港に愛された男ぉ!!!」とサンシャイン某が脳内で自己紹介を始める。

30分ほど遅れてようやく搭乗開始となった。搭乗口から近くに停まっているバスへ向かう途中に一人ずつレインコートが手渡される。粗悪な薄手の量産型レインコートを着た我々を乗せてバスは走る。けっこうな距離を走る。かなり走る。このまま陸路でカンボジアまで行ってしまうのではないかと思ったところで我々が乗る旅客機が目の前に現れ、粗悪な薄手の量産型レインコートを着た我々は雨の中その旅客機に乗り込む。LCC未体験だった私へ、これがLCCである。雨天時には粗悪な薄手の量産型レインコートが支給され雨の中自らの足で搭乗するのだ。

何はともあれ、無事香港国際空港を飛び立った私、果たしてカンボジアでは一体どんな困難が待ち受けているのだろうか!? アンコール・ワットへは無事たどり着けるのか!? 熱中症で倒れたり、お腹を壊したりはしないだろうか!? 現地で美女と知り合ってなんていうかそのあのアレはあるのだろうか!? 待望のカンボジア篇はこの後すぐ!!!

CM(香港エクスプレスの点心セット) f:id:m216r:20170529214220j:image

 

旅客機の窓の外に広がる雄大な大地、シェムリアップ国際空港到着直前に飛び込んでくる景色に目を奪われる。程なく旅客機は降下を始め、着陸の衝撃が体に伝わる。現地時間14時過ぎ、私はとうとうカンボジアにたどり着いた。タラップを降りて、空港の建物へと徒歩で移動する。体にまとわりつく熱気、これが、カンボジアの熱気。

入国審査を前に提出書類の整理をしていると「日本人ですか?」と若い青年に声をかけられた。どうやら入国審査の書類の書き方が分からないようだ。「これはね」と自分も地球の歩き方を見て記入した内容を偉そうに説明する。彼の持つパスポートの色は黒、学生だろうかと思い尋ねたら「一応働いてます」との回答。日本国内で事前に準備していたビザとパスポートを提出し、指紋をとられて無事入国。トランジットでよくあるというロストバゲージもなく、その青年と話しながら空港の外へ向かう。関西から来てシェムリアップでは一泊した後また別の地へ向かうようだ。空港の外へ出る。そこでホテルのスタッフが私の名前を書いた札を持って立っている、はずであったが……。否、立っていることは立っていた。しかし数が多すぎた。私はたくさんの札の中から自分の名前を探す。現地の方々が「君の名は。」という表情で私の顔を見つめる。前前前世から、とまではいかないが、飛行機が遅延した分私を待ちわびているはずのホテルのスタッフはどこだ。ようやく私の名前を見つけ、安堵とともにホテルのスタッフに挨拶をする。新海誠監督も驚愕の感動的物語はハッピーエンドで幕を閉じた。否、私の旅はまだ始まったばかりである。

青年と別れ、ホテルが用意してくれた車に乗り込むと、冷たい水とおしぼりが手渡された。スタッフのクメール語訛りの英語に日本語訛りの英語で対応しながら、窓の外を眺める。見慣れぬクメール語の看板、走るトゥクトゥク、強い非現実感が私を襲う。運転するスタッフに、ホテルのサービスや、夕日スポット、アンコール遺跡の入場券等について訊いた。ウェブ上の口コミで「アンコール遺跡の入場券を所定の料金所ではなくそのホテルで作ることができる」という情報があったが真偽の程が不明で、確かめてみたところ「以前は民間で管理していたのでうちのホテルで発行することができた。しかし今は政府の管轄であり、うちで発行はできない。入場券の値段も高くなってしまってね……」とのことであった。

20分ほどでホテル「ソカ・アンコール・リゾート」に到着した。繁華街からもアンコール遺跡からもほど近い五つ星ホテルだが、シェムリアップはホテルが安い。ドアマンがドアを開け、両手を合わせて挨拶をする。ロビーは広くゴージャスなインテリアで彩られている。チェックインをしようとするとロビーの一席に案内され、再び冷たいおしぼりとウェルカムドリンクが用意される。飲みながらチェックインの手続きを済ませ、部屋に案内される。手厚い「お・も・て・な・し」に感謝しつつドアを開けると一人にはもったいないほどの空間が広がっていた。十分な広さにセンス良く配置されたモダンな調度品、シャワーブースとバスタブはセパレートタイプになっており使い勝手が良い。楽園だ。このままここでゆっくり過ごしたい、だが、世界遺産がすぐそこで私を待っている、しかし、アンコール・ワットは17:30までに外へ出なければならない、飛行機の遅延もあった、料金所で入場券も作らなければならないし、十分に見学する時間は果たしてあるのだろうか、否、滞在時間も限られているしやはりここは初日からできるだけ観光を、ちょっと待て、旅の疲れもたまっているし今日はゆっくり過ごしたほうがいいのでは、いや……。悩むこと五秒、私は結局出かける準備を済ませ、ホテルのロビーに移動、コンシェルジュトゥクトゥクの手配を依頼した。

一年を通して最も暑いと言われるシェムリアップの五月だが、トゥクトゥクに乗って頬に受ける風は心地よい。ホテルとアンコール・ワットの中間地点にある料金所で三日間有効の入場券を作ってもらい、いざアンコール・ワットへ。トゥクトゥクアンコール・ワットのお堀を回り込むように進む。期待に胸を膨らませる私を野生の猿が見ている。16時半頃、アンコール・ワット正面にほど近いトゥクトゥクの待機場所に到着し、ドライバーと一旦別れることに。その前に念のため車体とドライバーを一眼レフで撮影させてもらう。一時間後に戻ってきた際、目的のトゥクトゥクが判別できないと困るからだ。

アンコール・ワットの西参道を進む。西塔門の階段を登ると、暗い塔門の中央部に開いた縦型のフレームの中に中央祠堂が一つ現れる。その計算しつくされた空間構成に当時の人々の叡智を感じずにはいられない。参道を進み、北側の聖池を挟んで中央祠堂を見る。五つの尖塔が聖池に映り込む、誰もが「アンコール・ワット」と聞いてイメージするその景色が目の前に広がっていた。本当に、来てしまった。

アンコール・ワットの内部へ。『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』のレリーフ、沐浴の池の跡、壁面に掘られた精巧なデバター(女神)の数々……、最盛期にはインドシナ半島の大部分とマレー半島の一部まで領土としたクメール王国、もしかしたら私の前前前世ぐらいに栄華を極めていたその王国の壮大さが凝縮されてまだこの空間に引き継がれているような印象を受ける。曇天でそこまでの暑さは感じなかったが、気が付けば体中の汗腺から汗が噴き出していた。

トゥクトゥクのドライバーと合流し、王の沐浴池と言われるスラ・スランへと向かった。夕暮れ時、水面がオレンジ色に染まる光景を期待して行ったが前述のとおり曇天、過ごしやすさと引き換えにその光景は見ることができなかった。それでもあたりが少しずつ闇に包まれていくその様は幻想的であった。

ホテルに戻ることを告げると、ドライバーが明日の予定について訊いてきた。アンコール・ワットで朝日を鑑賞、その後ホテルに戻りひと眠りして、午後からはこのあたりの遺跡群を観光したい、と伝えた。一人でやってきた初めてのカンボジアで不安を抱きながら半日が経過したが、心細さを彼の笑顔に救われたことは確かで、英語での意思疎通も問題ない。明日も引き続きチャーターをお願いした。ホテルに到着し、入り口で別れる。明日は朝5時にここで、と言い残してドライバーは去っていった。

シェムリアップいちのナイトスポット、パブ・ストリートが私を呼んでいるような気がしたが、さすがに今度は五秒も迷うことなく、ホテル近くのレストランでさっと食事をとった後、おとなしく早めに眠ることにする。私はもう疲れ知らずの20代ではない。フルマラソンのランナーのようにペース配分に気を配り、笑顔でゴールテープを切らなければならない。

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