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旅のラゴス(カンボジア篇5)

現地時間午前二時半、フィリピンはマニラにあるニノイ・アキノ国際空港、セブパシフィック航空の機体から死んだ魚の眼をした人々が降りてくる。この人々、三時間前にシェムリアップ国際空港で狭い機体に押し込められ、身動きの取れない状況で連れてこられた乗客たちである。そしてその中にひときわ瀕死の、三途の川に片足踏み込んでいる男性がいる。私だ。こんな状況では日本出発前に加入した海外旅行保険からなにかしら補償されても良さそうである。二時間半後、午前五時にまた成田行きの旅客機に詰め込まれ、四時間のフライトを経て帰国することになる。登山の後の深夜フライト(乗り継ぎあり)、罰ゲームのような日程を組んだのは誰だ。私だ。

セブパシフィック航空の乗り継ぎ案内所は閑散としていた。どうやらシェムリアップからの乗り継ぎで成田へ向かうのは私だけのようだ。スタッフに成田までの搭乗券発行を依頼する。想定外の乗客だったのか、だいぶ待たされてようやく成田へのチケットを手にする。想定外の乗客だったのか、手荷物検査場の係員は仮眠を取っており、案内所のスタッフが慌てて起こすというシュールな状況。そんなこんなでとにかく目的の搭乗口にたどり着いた。

搭乗口近くには私と同じく憔悴しきった乗客が搭乗のときを待っている。嗚呼、今ここに自分専用の個室(ふかふかのベッド付き)が欲しい。

疲労感の分だけ充足感もある旅だった。大学時代、旅行好きの友人がいつか口にしていた言葉「先進国は年を取ってからも訪れることができる。若いうちは観光に体力のいる開発国を中心に訪れたい」。カンボジア行きを決めたのは先の記事で書いた通り、五連休で訪れるのに東南アジアが適していると思ったこと、香港経由のチケットが見つかったことなどが理由だが、もしかしたら大学時代の友人のこの言葉がどこかにあったのかもしれない。もちろん、既に私は若いとは言えない年齢だが、それでもこれから先の人生、最も若いのが今なのだ。じゃいつ行くか? 今でしょ! なのだ。シェムリアップでは、年配の方が遺跡を巡っているのを何度も目にした。それでも、一日にいくつも遺跡をハシゴするような観光は若者に許された特権。特権を行使しすぎて罰ゲームのような日程を組むのもまた一興である。

午前五時前、搭乗開始のアナウンスが流れる。いよいよ最後のフライトである。ほぼ定刻通りに旅客機は成田へ向けて離陸した。私の旅も終わろうとしている。

旅に出ると、つい何か長々と語りたくなってしまう。以前の私は、旅について無理に意味や意義なんてものを付与する行為は好きではなかった。学生の修学旅行も、政治家の海外視察も、ただの「娯楽」にもっともらしいものを付与したいだけだ。数年前「自分探しの旅」という言葉が流行ったときに「いやいやいや自分はここにおるやん」と思っていたし、中田英寿が引退時に「人生とは旅であり、旅とは人生である」という長文を認めたときも半ば鼻じらむ思いであった。

筒井康隆『旅のラゴス』を読むまでは、そんな思いを抱いていた。以下、この小説の解説の一部を要約する。「異質の日常性に出会うことで自らの日常性を選択肢の中の一つとして自覚すると同時に、かつては、自らの意志によってではなく、偶然によって選択された当の選択肢を改めて自らの意志によって選び直す」。

これまで先進国しか訪れたことのなかった私にとって、カンボジアは異質の日常性で溢れていた。目に飛び込んでくる「貧しさ」に付け焼き刃的に学習した歴史を重ねた。ポル・ポト原始共産制を目指す動きの中で虐殺された人々、失われた知識階級、その結果としての歪な人口ピラミッド

観光地でギフトカードを売りつけてくる子どもたち、街中でしつこく声をかけてくるトゥクトゥクの運転手、遺跡内で勝手にガイドをしてきてチップをねだる男性、そんなカンボジアの人々と接する度に、「日本人だからといって舐められたくない」という思いと、悲しい歴史を背負った上で強かに生きる彼等への賞賛に似たような思いが入り混じって汗と一緒に吹き出してきた。異質の日常性を前に、ある特別な感情を抱く日本人としての自分を意識した。

こんなことを長々と語っているが、結局はただの「娯楽」にもっともらしいことを付け加えたいだけかもしれない。本当はただ一言「楽しかった」でまとめたいような気もする。ただ単純に、笑顔でゴールテープを切ることができればいい。

気付いたら眠っていたようだった。目を覚ますと成田到着直前で、しばらくして私を叩き起こすような着陸の衝撃が体に伝わった。

帰国。

夏に着る着物、その着心地を読者と共有できたのか否かは分からぬが、少しでも何か感じるものがあれば幸いである。このあたりで筆をおくことにする。

 

【次回予告】

八月、タイ行きのチケットを予約した私、タイでは一体どんなドラマが待っているのであろうか!? ワット・アルンにワット・ポー、一体いくつのワットを巡ることができるのか!? 次回、微笑みの国タイ篇、乞うご期待!!!