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プノン・クロムで見る夕日(カンボジア篇4)

若者には時間と活力があってお金がない。大人にはお金と活力があって時間がない。老人には時間とお金があって活力がない。そんな図を某SNSで見かけて、人の一生にはすべての要素が満ち足りている時期がないのか、と暗澹たる気分になったことがあった。それでも欠けている要素を補おうと努力することは可能で、若者は時間を犠牲にしてアルバイトに精を出しお金を得ようとする。そして、大人である私はお金で時間を買う。カンボジア最終日となったこの日、残された時間を効率的に観光するため午後から車をチャーターしていた。

午後一時、ホテルをチェックアウトし、スーツケースを車に積み込んで、シェムリアップから東へ約50kmのベン・メリアという遺跡を目指す。シェムリアップの中心地を離れると、車窓には遠くまで広がる草原、田畑、とのどかな景色が続く。エキゾチックというよりノスタルジック、私は故郷の沖永良部島を思い出していた。それでも時折視界に入る道路脇の売店――パラソルや簡素な屋根の下に野菜や果物が並んでいる――はここが東南アジアであることを強く実感させる。

この日はベン・メリアを訪れた後、22:30発の帰国便に間に合うように空港に移動することだけをホテルのコンシェルジュを通じてドライバーに伝えており、その間の時間は未定、ドライバーと交渉して好きなように動くことになっていた。

実はこの日の朝まで行くべきか否か迷っていたプノン・クロムという遺跡があった。『地球の歩き方』には、プノン・バケン、プレ・ループに次ぐ夕日の名所として掲載されていたが、注意点として以下のような記載があった。

――サンセットは日が沈んでからあっという間に暗くなるため、トラブルを防ぐためにも極力単独行動は避け、信頼のおけるガイドやドライバーの案内を付けることが望ましい。また、プノン・クロムではレイプ事件、強盗事件も報告されており、ガイドを付けても女性だけでの行動は避けること。

また、暑さの中、30分ほど山を登らなければならないことも私の決断を鈍らせていた。それでも結局、ベン・メリアへと向かう車中で「プノン・クロムに行きたい」とドライバーに告げていた。前日、アンコール・ワットでの朝日も、プレ・ループでの夕日も雲に遮られ、どうせまた無理だろうと惰眠を貪っていた今朝はツイッターアンコール・ワットの見事な朝日の画像が流れてくる始末。せっかくのチャンスを逃してしまった私は、このままカンボジアを離れるわけにはいかなかった。「プノン・クロムは既に連絡をもらっているルートからちょっと離れるのでUS$15のアップチャージになるけど」というドライバーの言葉にも、脳内のレート換算機がぶっ壊れたまま了承した。

ホテルを出発して約一時間、思ったより早く「東のアンコール」と呼ばれるベン・メリアに到着した。ドライバーと別れ、参道を遺跡へ向かって歩く。参道の両側には破損が少なく綺麗な状態が保たれているナーガ(蛇神)の像が並んでいる。一方で遺跡の壁面は崩壊が進み「壁」と呼ぶのに抵抗があるほど。遺跡上に組まれた木の歩道を進み、暗い回廊の中を通る。まるでRPGの主人公になったような気分で、攻略本『地球の歩き方』を手に遺跡を巡る。現れたのはモンスターではなく「勝手にガイドおじさん」であった。自ら進んで私の写真を撮ってくれたが直後チップをねだってくる。日本人だからと言って甘く見られたくはない、それでも国が背負ってきた悲しい過去(内戦やポル・ポトの虐殺等)を乗り越えて何とか生きていこうと必死な彼らに嫌悪感を抱くこともできない。私の財布の紐は中途半端に開かれた状態で、余っていたリエルをおじさんに手渡した。

ベンメリアの観光を終え、再びシェムリアップ方面へと移動する。時間は午後3時半、朝食ビュッフェを遅い時間に食べすぎた私はまだランチをとっておらず、道中ドライバーに何か食べたいことを告げる。車は一軒のレストランの前で停車した。テラスが川に突き出しているローカルなお店で、板張りの床をヤモリがはっている。まず失敗することがない炒飯を注文すると、出てきたのは皿の中央に炒飯、それを取り囲むように唐辛子や炒り卵や玉ねぎといった具材が添えられているものだった。味は我々が「炒飯」と聞いて想像するものとほぼ同じで、癖がなく美味しい。

食後、プノン・クロムへと移動する。

午後4時半、登山口に到着し、ドライバーと別れた。目の前にそびえる階段、登りきったものだけがその目で見ることのできる絶景、私は一歩を踏み出した。

しばらく登ると階段が途切れ、舗装された道を歩いていく。登りきるまでもなく、眼下には絶景が広がっていた。カンボジアの簡素な家並み、その向こうに広がる手付かずの大自然が足を軽くする。野生の山羊とすれ違い、山頂近くの寺院では小中学生ほどの年代の若い僧が気さくに話しかけてくる。少しずつ姿を変える絶景に都度立ち止まりながら登ったせいか、さほど疲れることなく30分ほどで遺跡にたどり着いた。山の斜面に立って遠くまで広がる景色を見る。手前には区画整理された田畑、そして遠く地平線の方には鬱蒼と生い茂る木々が見える。

落陽まではまだ1時間半ほどの時間があった。遺跡入口にあるベンチに座ってその時間を待つ。時折目の前を通っていくのは恐らく地元の住民か。観光客らしき人々の姿はない。母娘に声をかけられ、写真を撮ってあげる。観光地というより地元の人々の憩いの場所なのだろうか。

太陽は私を焦らすように少しずつその高度を下げていく。再び山の斜面に立って、もうだいぶ低くなった太陽が照らす景色を見つめる。

少しずつ橙色に染まっていく空、草木のグリーンと、水田に映るオレンジのコントラストに息を呑む。前日は肝心なところで雲に遮られていた太陽がカンボジアの大地を染めている。これが、プノン・クロムで見る夕日。雨季にはトンレサップ湖の水かさが増し、辺り一面が水に囲まれる絶景を見ることができるようだが、私にはこれで十分だった。

迷っていたが、来てよかったと思った。ここを訪れなかったら私のカンボジア旅行に何か大きなものが欠けていたとすら思う。

暗くなる前に坂道を駆け下りるように戻り、ドライバーと合流した。頂上で見た景色の素晴らしさを共有しながら、車はシェムリアップ国際空港へと向かう。

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