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夏に着る着物(カンボジア篇1)

――死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい 縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治『葉』の書き出しの文章を反芻していた。解釈の仕方によっては私の心境と重なる部分があった。もちろん死のうなどとは思っていない。ただ、死んだも同然の日々の中で、自らに「夏に着る着物」を用意し、袖を通すのを心待ちにしていた。

ゴールデンウィーク。カレンダーに忠実に生きる私の昨年のこの時期はいわゆる飛び石連休というやつで、ジムで鍛えた脚力をもってしても軽やかに渡り切ることはできず、つまずき、頭をしたたかに打って、つまるところどう過ごしたのかはっきりと覚えていない。

2017年、祝日が次から次へと土曜日に吸収されてしまう悲劇のこの年において、ただ五月初旬の五連休が光り輝いて私に迫ってくる。ありがたみの失われたたくさんの祝日たちのためにもこの五連休を楽しまなければならぬ。

三月中旬、私の脳内では「ゴールデンウィークの過ごし方」という議題で首脳会議が開かれた。「せっかくの連休なので連休でしかできないことを」と主張する海外旅行派が音楽フェス派や自宅でまったり派を圧倒、しかし、海外旅行派のなかでも行き先が定まらず、会議は踊るされど進まず状態。台湾や香港は魅力的だが週末でも気軽に行くことができる。却下。ヨーロッパへの弾丸旅行は航空券が高額。却下。海外旅行派の内部分裂を見た音楽フェス派が息を吹き返し「素晴らしい音楽に触れれば世界中どこへだって飛んでいける」とJ-POPの歌詞みたいなことを主張する。このままでは、会議の収拾がつかないままゴールデンウィークを迎えてしまうぞ。

会議が混乱を極める最中、たまたま旅行代理店に勤める友人が添乗で東南アジア諸国を訪れていた。「東南アジアはどうか」と海外旅行派が主張する。私にとって未踏の地、五連休で楽しむのにちょうどいいのではないか。では東南アジアのどの国にすべきか。とりあえずスカイスキャナーで各国行きの航空券をあたっていたところで目にした香港経由シェムリアップ行き。乗り継ぎには香港で一泊しなければならない。日本からの直行便がないシェムリアップ、それを逆手にとって乗り継ぎ地でも充実した時間を過ごせばいいではないか。香港とカンボジア、双方を楽しむためのプランを提示された私はそれを採用するしかなかった。こうしてサミットはスタンディングオベーションの中、幕を閉じたのである。めでたしめでたし、とはいかず、行き先が決まったら決まったで用意しなければならないことが数多くあった。航空券、宿、ビザ、レンタルWi-Fiの手配を終え、地球の歩き方2017~18(アンコール・ワットカンボジア)を購入し、ネット上でカンボジア関連の動画を漁り(一般人の旅行動画から、あいのりでラブワゴンがカンボジアを旅している動画、電波少年の企画でアンコール・ワットへの道の舗装をしている動画まで)、世界史の授業でただ単語として記憶するだけだったマハーバーラタラーマーヤナの物語にも触れた。あとは「夏に着る着物」に袖を通すだけである。

2017年5月3日、正午過ぎの成田空港。テレビのニュースで映し出される「出国ラッシュ」の地獄絵図に恐れをなし、便出発三時間前に到着した私は肩透かしを食らった。空いている。スカイライナーに乗っているときに時空が歪んでゴールデンウィーク後の世界にたどり着いてしまったのではないか。否、午後便であったことと、海外旅行者の多くは既に4月29日に出発し九連休を謳歌しているからなのか。俺のフレンチ俺のイタリアンに並ぶことなくすんなり入れたような心地で、俺の海外旅行は幕を開けた。レンタルWi-Fiを受け取り、スーツケースを預け、手荷物検査・出国審査をスムーズに終えると出発までまだ十分時間があった。搭乗口近くのレストランで空港の景色を眺めながらカツカレーを咀嚼回数多めで食べ、買いもしない免税品を漁ったり、行きもしないロサンゼルス行きの搭乗口の前で記念撮影をしたりした。

そうこうしているうちに搭乗のアナウンスが流れ、私自身初のLCCである香港エクスプレスに乗り込む。便名の「UO 819」が私の誕生日の数字であり、狭い機内で旅の期待は膨らむばかりであった。香港着は18:55、香港発は翌日の11:55。与えられたこの17時間で香港を堪能しなければならない。既に脳内でタイムスケジュールを組んでいた私は、空港と市街地を高速で結ぶエアポートエクスプレスの往復チケットを機内で購入した。

四時間半のフライトの後、ほぼ定刻通りに香港に到着。タラップを降り、九ヶ月ぶりに香港の大地を踏みしめる。肌にまとわりつく懐かしい熱気、「我返嚟喇(ただいま)!」と叫びたい気持ちをすんでのところで押しとどめ、バスに乗り空港の建物へ。スーツケースは受け取らずに外へ出て、到着フロアの太興というローストのレストランで私が中華料理で最も好きな燒肉(皮付き豚の丸焼き)が載ったご飯を咀嚼回数少なめで胃に流し込む。食後、トイレの個室で長袖から半袖に着替え、エアポートエクスプレスに飛び乗った。はやる気持ちを抑えられなかった。初めてエアポートエクスプレスを遅いと感じた。

香港駅でIsland Lineに乗り換え、太古で下車。このところネット上で話題となっている密集アパートの景色、前回香港訪問時に来ることができなかったこの場所を訪れ写真に収めたい。ネット上の情報を頼りに少し迷ったものの目的の場所にたどり着いた。見上げると、福昌樓、益昌大廈、益發大廈、康蕙花園の四つの高層住宅が夜空を取り囲む。数え切れないほどの窓、人々の営み、その香港らしさが凝縮された景色にただ圧倒された。街を歩いているとき、列車に乗っているとき、ふと香港の集合住宅に目を引かれることがある。びっしりと並ぶ窓、その一つ一つに想像もできないようなドラマが凝縮されていることを私は星野博美のノンフィクション『転がる香港に苔は生えない』から学んだ。

大学生の頃、交換留学生として八ヶ月間香港で暮らした。帰国してからも片手では足りないほど香港を訪れ、香港を分かっているような気になっている一方で、訪れるたびにまた違った顔を見せつけられ、「そんな薄っぺらい街ではない」と香港に諭されているような気さえする。これからも飽き足らず香港を訪れ、ガイドブックに載っていないお気に入りを増やしていくだろうと、高層住宅の谷間で私はそんなことを考えていた。

地下鉄を乗り継いで尖沙咀へ。ガイドブックにも載っているお馴染みの香港島の夜景は、留学中に初めて現地の学生らに連れてきてもらったあの時から色褪せることなく、今も変わらず鮮やかな色をビクトリア湾に反射させている。

飽きない。しかし、ずっと見ていたいという思いを脳内のタイムスケジュールが断ち切る。そろそろホテルへ向かわなければならなかった。私は彌敦道を北上する。何度か宿泊した九龍酒店、本格的なインドカレーを食べた重慶大厦、街の喧騒に疲れたとき一息ついていた九龍公園、「ニセモノトケイ」と声をかけてくる怪しい男性にすらノスタルジーを感じながら、ただ、昔を回顧している時間はなく、私は一泊分の荷物を抱えてひたすら彌敦道を北上する。

九龍公園北側に位置するBP Internationalにチェックイン。フロントが無愛想だったり、最初に渡されたカードキーで部屋に入れなかったりしたが、部屋は角部屋で広く快適で、サービスの至らなさを補って余りあるものであった。長い間、香港と向き合ってきた中で嫌なこともたくさん経験してきたけれどどうしてもこの街を嫌いになれない、そんな香港に対する私の想いが一つの出来事としてこの17時間の中にきっちりと組み込まれているようでなんだか可笑しい。

ベッドに横たわり、いよいよ明日訪れることになるシェムリアップの天候をチェックする。覚悟はしていたものの、いざその過酷な旅を目の前にすると少し怯んでしまう。気温は30度超、夏に着る着物ですら脱ぎ去ってしまうほうがよさそうな、そんな気がした。

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