日記なんかつけてみたりして

コメント歓迎期間中

プロローグ(スペイン篇7)

仕事始めを明日に控え、時差ボケが抜ける気配はなく、私の心はまだバルセロナでピンチョスを頬張っていた。午後9時過ぎにテレビをつけてみると、そんな私の社会復帰をより困難にする番組が放送されていた。見てきたばかりの景観が画面に映し出される。『NHKスペシャル サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む』、スペインから帰国して間もないこの時期に、NHKが逆に私に対して用意してくれたお土産なのか。

サグラダ・ファミリアのシンボルとも言えるイエスの塔を建築するにあたり、その内部の装飾をどうするのか、この旅行記でも度々紹介してきたサグラダ・ファミリアの主任彫刻家、外尾悦郎氏が苦悩する姿が映し出されていた。

生前、ガウディが残した模型や建築資料、そのほとんどがスペイン内戦で失われてしまった。跡を継いだ弟子たちは、ガウディの言葉や模型の破片などからガウディの意図を汲み取り、建設を続けている。イエスの塔の内部を装飾するにあたり、試行錯誤を繰り返す外尾氏。「種」をモチーフにオブジェを作り、郊外の実験場の壁に取り付けてみるものの、しっくりこない。創作に行き詰まる最中、別の教会の地下からガウディが残した資料が大量に見つかる。そこから、ガウディがイエスの塔を構想していた時期に、色の研究に没頭していたことが分かる。そして、資料の中にグラデーションの実験をしていた形跡が。外尾氏はイエスの塔のテーマは「色彩」だと結論付けた。

番組内で、外尾氏はこう語っている。

――自然には境目がないんですよね。いろんな色はあるけど境目はないんですよ。空の色も海の色も。色が無限にグラデーションがかかって変わっていく。ところが人間が作るものはすべて境目がある。それをガウディは悲しく思ったんじゃないかなと思うんですよね。

番組内で映し出される、イエスの塔の内部のイメージCG、色とりどりのグラデーションの壁、この空間に私が足を踏み入れることはあるのだろうか。もしあるとすれば、その瞬間に何を感じるのだろうか。

私はバルセロナで見た景色を思い返していた。ガウディの建築物の背後には、自然が作ったグラデーションが広がっていた。

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そして今日もサグラダ・ファミリアの建築は続いている。ガウディの後を継いだ多くの人々の努力と苦悩が少しずつ形になっていく。

またここを訪れたい、と思った。サグラダ・ファミリアの完成は、2026年、東京五輪よりも先の未来が、私にとって意味を持つようになった今回の旅。もしかしたら、完成後に訪れるかもしれないし、それ以前にまた訪れるかもしれない。これまで時間をかけて書いてきたこの記事は、そのときの私に向かって書かれたもののようにも思える。そして、この続きを将来の私が書くことをどこかで期待しているのかもしれない。だから、私はあえて、この言葉でこの旅行記を締めくくることにする。

つづく

アディオス(スペイン篇6)

もはや、語ることはそう多く残されていない。ホテルで最後の朝食をとり、部屋の窓から見えるサグラダ・ファミリアに後ろ髪を引かれながら寂寞のチェックアウト。12:15の飛行機の便に間に合うようにホテルを出た。最後は少し贅沢をして、ホテルが用意してくれたタクシーで空港へと向かった。

タクシーの運転手の英語が聞き取りづらく、よくよく聞いていると「Park Guell」を「パルクグエル」のように"r"をはっきりラ行で発音しているようだった。母語の影響だろうか。訛りが強いからといって相手の英語を理解しようとする努力をやめず、相手の母語の影響まで考えて相手の英語を聞き取れたら理想だと思った。もちろんスタンダードな英語が聞けて話せて、というのは大前提にあって、自分はまずそこから取り組むべきだと思うけれど。

日本に行ってみたい、というので、これから私がたどる道のり(香港まで12時間、更に日本まで4時間のフライト)を伝えると、意気消沈した様子。そう、極東までの道のりは長い。私も意気消沈する。

バルセロナ郊外のエル・プラット空港に到着。スーツケースを預け、手荷物検査を終え、お土産を買い、牛歩よりも遅い入国審査の列の進み具合にやきもきしたものの、なんとか搭乗口の前に到着する。

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搭乗して座席につく。しばらくすると、機体が動き出した。背中に感じる無情な重力、まだここにいたいという私の想いを引き剥がすように旅客機は加速する。

離陸。

アディオス、スペイン。今度は是非サッカー観戦で訪れたい。完成して未完成となったサグラダ・ファミリアを見に訪れたい。この数日で、私は完全にスペインの魅力に取り憑かれてしまっていた。

 

 

画面に映し出されるリリー・フランキーの尻。機内で映画『万引き家族』を見ていた。是枝監督の作品は『誰も知らない』や『そして父になる』などもそうであるように、家族のあり方を問う作品が多いような気がする。本作品で描かれるのは、特異な繋がりで生活を共にする集団。輪郭が不確かなものを描いて家族とは何かを突きつける素晴らしい作品であった。

そしてふと気づく。「サグラダ・ファミリア」、日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」。これは、サグラダ・ファミリアの建設を提案した聖ヨセフ帰依者協会の基本精神によるものである。社会が混乱していく時代に、その最小単位である家族を大切にしようという思想。

映画が終わったあと、私はこの不思議な偶然について考えていた。そして、サグラダ・ファミリアについて、それから、スペインで経験した私の感情を否応なしに揺さぶってきた瞬間について。私がスペインへ想いを馳せるそのときにも、旅客機は無慈悲にも極東へ向けて猛スピードで向かっているのだった。

少し休もうと、ネックピローを膨らませる。そして、目を閉じる。徐々に意識が遠のいていく。

こうして、私のスペインの旅は終わった。現地で感じたことはここまででほとんど語り尽くしたような気がする。この「スペイン篇」もこのあたりで幕を閉じることにする、はずだったのだが。

聖堂内部(スペイン篇5)

目的地の近くまで来ているものの、なかなかそこに入れずに翻弄され続ける、そんな小説をフランツ・カフカが書いていたような気がするが、私も同じような状況に陥っていた。サグラダ・ファミリア聖堂のすぐ近くに、しかも部屋から見えるほど近くに滞在しているにもかかわらず、その内部に入れずやきもきしていた。ただ、カフカの小説の主人公、測量士Kと私が違うのは、私にはきちんとした名前と本日の日付が印字されたチケットがあった。

本来であれば、バルセロナ到着翌日にでも聖堂の内部に入りたかったのだが、希望する日時のチケットが完売、結局、帰国日前日のこの日にようやく内部潜入が許されることになっていたのだった。

チケットに記載された時刻、10:30の少し前にホテルを出て、歩いてすぐの大聖堂へ向かう。空港と同じような手荷物検査を受け入場、オーディオガイドを受け取って、これまで少し離れた場所から眺めるだけだった生誕のファサードの前に立った。

聖母マリアの戴冠、受胎告知、マリアとヨセフの婚姻……、聖書の場面が精緻な彫刻で表現されていて、目を奪われる。オーディオガイドの音声が視覚からの情報量に追い付かず、馬耳東風。イエス生誕の喜びが石に宿ったような、その見事な彫刻をじっくり眺めた。 

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二ヵ月前のことを思い返していた。スペインに行こうかどうしようかまだ迷っていたその時期、ふとテレビをつけてみると、サグラダ・ファミリアが映し出されていた。「池上彰の世界を歩く 情熱の国スペインの光と影」と銘打ったその番組では、ゲルニカ制作の背景やスペイン内戦の傷跡から、カタルーニャ地方の文化に至るまで、現代のスペインを知るための情報が二時間に凝縮されていた。迷っていた私は背中を勢いよく闘牛に押されたような格好でスペイン行きを決めたわけである。

その番組の中で、池上彰サグラダ・ファミリアについて口にした言葉が心に残っていた。「サグラダ・ファミリアキリスト教の布教のメディアだ」。マスメディアが発達していなかった当時、他の追随を許さない壮大な建物を作り、人々に来てもらい、外観に表現されている聖書のエピソードを読み取ってもらう、詳しく分からずとも興味を持ってもらう、というのは布教のためのとても有効な手段だと思う。SNSを含めたマスメディアがここまで発達した現代においても、簡単に消費されて忘れ去られる情報の中で、未だなお人々の心に訴えかける効果的な手段ではないか。かく言う私も、もっとキリスト教について造詣が深ければ、という自責の念にかられる。私自身、カトリック系の大学を卒業し、キリスト教の講義が必須科目だったにもかかわらず、外国人の教授が片言の日本語で聖書をなぞるだけの授業内容は馬耳東風、感じたのは、キリスト教への興味ではなく眠気であった。当時の私をここに連れてくることができたら、何か違っていたのかもしれない。

とはいえ、ガウディ自身も二代目のサグラダ・ファミリアの主任建築家となって以降、キリスト教の知識を深め、司祭と深い議論を交わすまでになったという。何事も遅すぎるということはない。

内部へ足を踏み入れる。鐘楼に登るエレベーターの時間10:45が迫っていたため、ステンドグラスから光が差し込む幻想的な空間を堪能するのは後にして、エレベーター乗り場へ。そこから一気に高さ50mの地点まで昇る。なお、塔に昇るエレベーター付きのチケットは、購入時に生誕のファサード側の塔か、受難のファサード側の塔かを選ぶことになっていた。私が選んだ生誕のファサードの塔からは、バルセロナの住宅街と、遠く新開発地域の高層ビルが見えた。眼下には公園と池、そこから観光客が聖堂を見上げている。

戻りは巻貝状の螺旋階段を下っていく。小窓から見えるバルセロナの街並みがどんどん低くなっていく。途中、主任彫刻家である外尾悦郎氏が手掛けたフルーツ群の彫刻も見える。

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そして再び聖堂内部。樹木のように枝分かれした柱が天井を支え、ステンドグラスを通した色鮮やかな光が差し込む。聖堂と言うより、巨大な森の中にいる感覚を抱く。これまでガウディの作品群を見る中で、自然界のデザインをベースにしていることをこの目で確かめてきたが、まさにその集大成とも言える空間に包まれる。バルセロナ到着後、なるべく早くこの空間を訪れたかった。しかし、グエル公園カサ・バトリョカサ・ミラ、とほぼ時系列順に彼の作品を見ることで、より一層サグラダ・ファミリアの素晴らしさに気づくことができたような気がする。

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反対側、受難のファサードに出る。日が落ちる西側に面したこの門は、生誕のファサードとは異なり、装飾を排除してキリストの受難の苦しみを表現している。彫刻は、左下からS字をなぞるように見ていくと磔刑前夜の出来事、ゴルゴダの丘への道、イエスの死と埋葬、と聖書の順番をたどることができる。まさに石で作られた聖書である。

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サグラダ・ファミリア地下にある博物館へ。聖堂の建築の歴史や、ガウディの残したスケッチなどが展示されていた。中でも目を引くのが、網状の糸に重りを取り付けた逆さづりの模型である。これを180度反転させたものが自らの重みを自らの形だけで支えるのに最も効率的な構造だとガウディは考え、その通りに建物をデザインしている。その点、重力に逆らって力づくで壁を支えるケルン大聖堂のような建物とはコンセプトが全く異なるのである。

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たっぷり時間を取ってサグラダ・ファミリアの内部を堪能した。外に出て、サグラダ・ファミリアを仰ぎ見る。内部を見た後ではまた違う印象を受ける。ガウディの亡き後も、ガウディの意志を継いだ数多くの人々が携わってきた他に類を見ない建築物。その瞬間も刻一刻と完成へと向けて工事が進められていた。

そして私は、次の目的地へと向かう。

午後はモンジュイック城を訪れた。地下鉄でスペイン広場へ、そこからバスに乗り、山道を進んだ先に現れる要塞。フランコ政権下で獄舎として使われたここは、カルロス・ルイス・サフォン『風の影』という小説にもたびたび処刑場としてその名が登場する場所である。

ただ、現在はそのようなおどろおどろしい雰囲気は消え去り、城のテラスからはバルセロナの街並みと地中海を見渡すことができる。遠くにサグラダ・ファミリアの姿を認め、このバルセロナという街がいかに区画整理され、高さまでも制限されている街であるかが分かる。ここ数日でバルセロナの街を駆けずり回ったが、まだまだ知らない観光スポットが、お店が、路地がたくさんあるのだと、バルセロナの街を一望して途方に暮れる。

カモメが飛んできて、城壁の上にとまった。歩みに合わせてしばらくカメラのレンズを向けると、遠くへ飛んで行ってしまった。

あっという間の五日間、私も明日、ここを飛び立たねばならない。 

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マドリード(スペイン篇4)

一歩足を踏み入れたとき、これまでの部屋とは空気が変わったような気がした。目の前には人だかりができていて、人々の頭越しに巨大な絵の上部が見える。

人混みをゆっくりかき分けて、絵の前に進む。幕が少しずつ開いていくように、絵画の全貌が眼の前に現れる。

巨大な横長のキャンバスの左側に描かれているのは牡牛、子供を抱いて泣き叫ぶ女、横たわる兵士、そして、中央にはランプのような爆弾のような光源の下でいななく馬、その右側には灯を手に窓から身を乗り出す女、駆け寄る女、建物から落ちる女……。

その構図は、何度も目にしてきたはずだった。それでも、実物を見て胸が震えた。

私は、ソフィア王妃芸術センターの206号室でその絵に圧倒され、立ち尽くしていた。

 

パブロ・ピカソゲルニカ」、私にとってはただ絵面と絵画名がかろうじて一致する程度だったその作品に明確な意味が付与されたのは、原田マハの小説『暗幕のゲルニカ』を読んだことがきっかけである。

この小説は、現代と過去の話が交互に語られ、二つの物語が収斂していくという構造を持っている。

現代のパートの主人公は、ニューヨーク近代美術館のキュレーターである日本人女性。その女性がアートの力で平和を訴えようとゲルニカに迫っていく。イラクに対する武力行使を容認した安全保障理事会、その会見場の壁に掛かっていたはずのゲルニカタペストリーに暗幕がかけられていた。作中に登場する場面であるが、2003年実際にイラク空爆前夜に起こった出来事であり、これが『暗幕のゲルニカ』を書くきっかけだったと著者は語っている。

過去のパートの舞台はスペイン内戦中のパリ。スペイン北部の町、ゲルニカに対するドイツ軍の無差別空爆を知ったピカソが、パリ万博に出展する作品としてゲルニカ制作に取り掛かる。ピカソがこの絵画に込めた想いが作品を通して伝わってくる。

原田マハ氏は刊行記念インタビューゲルニカについてこう語っている。「絵画なんだけど、ドキュメンタリー。忘れたい、でも忘れてはいけない出来事」。優れた芸術作品は、真実以上に真実を語りかけてくることがある、と私も常々思う。

もし『暗幕のゲルニカ』に出会わなかったら、私はバルセロナから足を延ばしてマドリードまで来なかったかも知れない。マドリード行きのAVE(スペイン高速鉄道)を日本で予約し、朝7時バルセロナ発の便に乗り込み、機内食のような朝食を取り、マドリードの駅に到着し、冷たい空気に震え、駅から歩いてすぐのソフィア王妃芸術センターへ向かうことはなかったのかも。この『暗幕のゲルニカ』に魅力を感じ、この作品の向こうに「ゲルニカ」の魅力を感じた。そして今、目の前にある「ゲルニカ」に魂を揺さぶられている。怒り、哀しみ、絶望、様々な感情が絵を通して流れ込んでくる。

前述のインタビューを、原田マハ氏はこんな言葉で締めくくっている。

――実際は、美術が戦争を直接止められることはないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど「止められるかもしれない」と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことができる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求しています。

確かに、今始まろうとしている、或いは進行中の戦争を止める力はアートにはないかもしれない。だけど、戦争を引き起こすきっかけのきっかけのきっかけとなる小さな萌芽ぐらいは摘むことはできるのではないかと、ゲルニカを前にするとそんなことを信じたくなってくる。

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15時半、マドリードからトレドへと向かうバスに揺られていた。「スペインに一日しかいられないのであればトレドへ行け」そんな格言があるぐらいスペインの歴史や文化が凝縮された町、トレド。マドリード訪問のついでに何とか行けないかと考えた結果、マドリード発のバスツアーに参加することにしたのだった。

ほとんど事前知識なしで参加した分、日本語ガイドの説明が興味深い。トレドにもリーガ・エスパニョーラの3部に所属するサッカークラブがあり、過去に一度、国王杯でレアル・マドリードに勝利するというジャイアントキリングを成し遂げたことがあるとか。また、日本人で初めてトレドを訪れたのは、1582年に九州のキリシタン大名の名代としてローマに派遣された四人の少年たちで、途中トレドを訪れた際、初めての日本人を一目見ようとする人々で街はごった返したとか。その他、ごく一般的なトレド情報についてはWikipediaを参照されたい。ガイドの説明にじっくり耳を傾け、帰りの車内で抜き打ちテストがあっても首席で卒業できるほどであった。

一時間ほどでトレドに到着。もはや慣れているのだろう、この21世紀にトレドの町を歩く我々日本人の集団に、人々は好奇の目を寄せることはない。展望台からトレドの全景を眺め、大聖堂の荘厳さに圧倒され、サント・トメ教会でエル・グレコの絵画「オルガス伯の埋葬」を鑑賞する。午後からの半日ツアーだったため、駆け足での観光となり、この文章もどこか駆け足気味だが、いつかまたゆっくりと訪れてみたい。可能であれば宿泊し、細く入り組んだ路地を迷子になりながら歩くのも楽しそうであるが、私はすでに人生の迷子である。

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再びマドリードへ。解散場所のグラン・ビア通りからマドリードの中央駅へタクシーで移動する。渋滞に巻き込まれ、のんびり車窓から街並みを見つめる。ネオンに輝くマドリードの街は、どことなく銀座のような印象を抱く。

駅に到着、手荷物検査を終え、21:25発のAVEに乗り込んだ。

結局、マドリードでまともに観光したのはソフィア王妃芸術センターのみだった。「銀座のよう」ではなく、マドリード固有の印象を抱くには滞在時間が短すぎたような気がする。いや、たとえ長かったとしても、美術館が乱立するこの街を堪能できるほどの素養が私にはあるのか。

ただ、美術には門外漢の私が、ここマドリードで一枚の絵画に感動できたこと。その絵の制作過程を、その絵に込められた意味を知ることで、そんな私でも胸を打たれるのだということを知った。

往復ともに一等車なので食事付きである。ドリンクのリストにカバ(スペイン製スパークリングワイン)を見つけ、オーダーする。

濃い一日だった。そして、カバのアルコールも濃いのか、或いは私が疲れているだけなのか、酔いが心地よく回ってくる。

AVEは時速300kmでマドリードから、ゲルニカから離れていく。

ガウディの天才性(スペイン篇3)

何かが破裂する音で目を覚ました。iPhoneを手繰り寄せ、時間を確認してその音の正体を把握する。ちょうど日付が変わったところ、どこかで花火が上がっているのだ。

年が変わる瞬間に特に執着心はなく、眠りについていた。所詮、人間が恣意的に決めた瞬間であり、しかもそれを全人類が一斉に祝うでもなく、これまた恣意的に決められたタイムゾーンに従って祝う、そのことに対する違和感が自分の中にあった。

花火の音はやけに喧しく、眠れそうにないので、屋上に上がってみることにした。サグラダ・ファミリアは暗がりにその姿を潜めていた。遠く、スペイン広場の方だろうか、花火が上がっている。街中のところどころからも、市販の打ち上げ花火が上がっていた。

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ぼんやりと花火を見つめながら、新年を祝う人の営みについて考える。年始に執着心はないと述べたが、大晦日にはちゃっかり年越しそばを食べたわけで、その「恣意的に決められたもの」から完全に自由ではいられない中途半端な自分自身を自覚もしている。

しかも、この8時間後に私は、初日の出を見るべくグエル公園にいたわけで、なんとも矛盾した行為である。結局心のどこかで、新年を祝うこの空気に自分を置きたいのかもしれない。

午前8時、グエル公園構内、徐々に明るみを増していく空が私の足を速めていた。バルセロナ到着初日にグエル公園を訪れたのは、初日の出の下見も兼ねてであった。位置関係を把握していたおかげで、迷うことなく目的の中央広場へ歩みを進める。

日の出の時刻、8:17の少し前に広場に到着すると、グエル公園の代名詞とも言えるモザイクタイルがあしらわれたベンチの前で多くの人々が夜明けを待っていた。聞こえてくるのは日本語と韓国語。ここは新大久保か。ベストスポットを巡っての日韓戦が行われているようだ。海外には初日の出を拝む習慣はないと思っていたが、お隣の国、韓国にもあるのだろうか。

遠く、南東の方角を見つめる。そこにはサグラダ・ファミリアが建っていて、その後ろの地中海から朝日が昇るはずである。

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海と空の境目が真っ赤に燃える。朝焼けが日の出を予感させる。

水平線の上に太陽の輪郭が現れた。周囲からは言語の壁を越えた感嘆の声が漏れる。次第に姿を現していく太陽が、グエル公園のベンチを照らす。圧倒的な赤に、ベンチの色鮮やかな青や緑が呼応しているようにも見える。そこに色が宿る瞬間を見る心地がする。

朝日を見るとき、これまで私は太陽そのもの、つまり、ただ照らすものの美しさしか認めてこなかったかもしれない。グエル公園で朝日を見ることで、照らされるものの美しさをもっと認めるべきではないか、とガウディに諭されたような気がする。

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この旅の大きな目的の一つである「バルセロナで初日の出を拝む」は天候にも恵まれ見事達成することができた。満足感を胸にホテルに戻り、朝食をとって、昼過ぎまでゆっくり休んだ。

そしてこの日はガウディ三昧。午後からは彼の代表作であるカサ・バトリョカサ・ミラをハシゴすることにしていた。

地下鉄でカタルーニャ駅へ。昨日はここを起点に南へと足を延ばしたが、今回はグラシア通りを北上する。

TXAPELAというピンチョスバルのチェーン店で昼食をとった後、カサ・バトリョへ向かった。日本で時間指定なしファストパス付きのチケットを購入していたため、行列の横を涼しい顔で通り、入り口へ。ガウディが繊維業界のブルジョアであったバトリョ家の依頼により増改築した建物で、海をイメージして建築されたと言われている。その建物の中をスマホ型のオーディオガイドに従って見て回る。画面にはその部屋に応じたアニメーションが流れる。

バルコニーの波打つ窓や、煙を表現した屋上の煙突など、見どころはたくさんあったが、とりわけ興味深いのはタイルが貼られた中庭の壁で、上層階から地上階に近づくにつれて色が濃紺から白へ変化している。これは、各階に届く光の量が同じになるように計算されているらしい。外尾氏は著書の中で『ガウディの天才性の一端は、機能とデザイン(構造)と象徴を常に一つの問題として同時に解決していることにあると思います』と述べているが、その天才性の一端を垣間見たような気がした。

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そして、カサ・ミラ。実業家ペレ・ミラの邸宅として建設された、曲線が印象的な建物である。こちらは16:30指定のチケットを購入していたので時間に合わせて訪問。手荷物検査を受け、オーディオガイドを受け取り、中に入るとそこは壁が淡い色彩で彩られたホール、そこからエレベーターで一気に屋上へ上がる。そこに並んでいるのは独創的なオブジェ、実際は煙突や換気口の役割を果たしている。ソフトクリームのようにも見える換気口は、空気の流れを読んでこういうデザインを生み出したとのこと。屋上を風が吹き抜ける際、この煙突が空気を巻き込んで中の煙を吸い出させる。換気扇があまり普及していなかった時代に、ガウディが機能・デザイン・象徴の問題を同時に解決した一例であろう。屋上からはバルセロナの街を見渡すことができた。

屋上から階段を下りて、ガウディ建築の展示スペースとなっている屋根裏を見学、更に階段を下り、住居スペースへ。ここは現在でも4世帯が住むアパートであり、見学可能なのは1フロアのみ。因みに家賃は約15万円、破格の安さに思えるが、建設当時は家賃の高さと見た目の評判の悪さからなかなか借り手がつかず、「3世代に渡って家賃値上げなし」という条件があるらしい。バルセロナの中心で世界遺産に15万円で住む、一体前世でどれだけ徳を積めばここの住民として生まれてくるのか。

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ガウディ建築を堪能した私はホテルへ戻る。地下鉄から地上に上がる瞬間、またサグラダ・ファミリアが出迎えてくれる。今回のホテルは中心部からは多少離れていて、ショッピングに重きを置く場合はお勧めできないかもしれないが、私にとっては最良の選択をしたような気がする。サグラダ・ファミリアが帰る場所になる、という感覚を持つことができる場所。

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2019年の元日は、ガウディに彩られる形で終わった。所詮、人間が恣意的に決めた前年との区切りではあるが、その恣意的なものに囲まれて生きる以上、その区切りを経て訪れた2019年という年を素晴らしい年にしたい。

+8(スペイン篇2)

ホテルの朝食ビュッフェが好きだ。特に、その土地の特色が現れていて、種類が豊富であれば申し分ない。例えば、鹿児島のホテルでは鶏飯を食べ、台北のホテルでは点心を食べたことがあったが、朝からその地域の文化にどっぷり浸かることができる食事は旅行に彩りを与えてくれるような気がする。

ホテルの朝食会場には、様々な食材が並んでいた。ハムやチーズは特に種類が豊富で、それを日本人である私は「ハム」「チーズ」としか言い表せない、この語彙が追い付かない感じが嬉しい。また、カバ(スペイン製スパークリングワイン)のボトルも置いてあった。さすがに朝からアルコールを摂取してしまうと、現地の方々以上に陽気な一日を過ごしてしまいそうで遠慮しておいた。なんてことない普通の目玉焼きがとても美味しかった。

食後、この旅初めての地下鉄に乗った。バルセロナは某旅行情報サイトが発表している「スリが多い世界の都市ランキング」で堂々一位を獲得しており、ネット上や『地球の歩き方』では地下鉄での被害が数多く報告されていた。新聞やコートを手に持ったまま近づき、旅行者の鞄を隠しながら財布を盗む、などといった具体的な手口の数々をあらかじめ頭に入れておいた私は、コートの内ポケットに財布を入れ、ショルダーバッグは体の前に持ってくる。地下鉄の改札を通った瞬間から周囲は全員敵、近寄るなオーラをまき散らしながらホームへ向かい、電車に乗り込んだ。FCバルセロナの攻撃陣でも手を焼くほどの超守備的な布陣を築き上げる。そんな私がこの日最初に向かう先は、そのFCバルセロナの本拠地であるカンプ・ノウ・スタジアム。本来はここで試合を観戦したかったのだが、年末年始は試合が行われないため、スタジアムツアーにだけ参加することにしていた。

サグラダ・ファミリア駅からコイブラン駅まで5号線で15分、そこからGoogle Mapsを頼りに歩くこと10分、バルサファンにとって、否、サッカーファンにとっての聖地とも言えるカンプ・ノウに到着した。ツアーのチケットを購入し、中に入る。まずはミュージアムでクラブの長い歴史を垣間見る。歴代のユニフォームや写真、応援歌の楽譜までも展示されていた。そして、私の人生で果たしてこんな数のトロフィーを一度に目にしたことがあっただろうか、と思うほど華々しい経歴が飾られていた。世界でも有数のクラブが地元にあるというのはどんな気分なのだろう。私の地元のクラブ、鹿児島ユナイテッドFCはなんとかJ2リーグに昇格したばかりであり、そんな私にとってはトロフィーの輝きが眩しすぎる。

スタンドに出てピッチを眺める。これまで4人の日本人選手がここでバルサ相手に奮闘した。とりわけこのピッチで日本人として初ゴールを、しかもその試合で2得点を挙げた乾貴士の衝撃は記憶に新しいが、その彼も今やなかなか試合に出場できていない現状を考えると、スペインリーグで活躍することがいかに難しいかを思い知らされる。

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プレスルーム、ロッカールームを訪れ、プレイヤーズトンネルを抜ける。まるで自分が選手になったかのような気分を味わいながら歩く。カンプ・ノウの芝が目の前に広がる。恐らくほとんどのサッカー選手が憧れる瞬間を疑似体験する。

やっぱり、ここで試合が観たい、と思った。

思い返すのは、今年3月、ドイツはドルトムントのスタジアムで観戦したブンデスリーガの試合である。バックスタンドのサポーターの黄色い壁、ゴールの瞬間の狂乱、試合後の余韻……。チャンピオンズリーグ出場権を争うフランクフルトとの試合は一進一退のシーソーゲームで、終盤でドルトムントが勝ち越しのゴールを奪うという劇的なものだった。その翌日、スタジアムツアーでもう一度訪れたそこは、祭りの後の静寂、ガラガラのスタンドに無人のピッチ、あの熱狂が夢だったかのように静まり返っていた。スタジアムの動と静を味わって初めてそのスタジアムを堪能したような気がした。

今回観戦できないことを今更嘆いても仕方がない。その分節約できた時間とお金を他に費やすのだ。ありがたいことにバルセロナには僅か一週間足らずの滞在では体験しきれないほどの魅力で満ち溢れている。

いつかここで試合を観戦してやろう、という強い決意を胸にカンプ・ノウを後にする。来たときとは反対側、地下鉄3号線のパラウ・レイアール駅へと向かう。改札を抜けたら全員敵、と再度気を引き締める。乗り継ぎなしで次の目的地、カタルーニャ駅へ。

午後は、バルセロナの中心として古くから栄えたゴシック地区を散策することにしていた。人通りの絶えないランブラス通りを歩き、サン・ジュセップ市場を覗く。その後、無名時代のピカソや多くの芸術家たちが通ったと言われる「クアトラ・ガッツ」というカフェで昼食をとった。ここにはサグラダ・ファミリアの主任彫刻家、外尾氏も1978年に訪れているが、そのときにはもはや芸術の原点といった印象はなく、ただの観光名所となっているカフェ・バーだったと述べている。

確かに、芸術家たちが熱い議論を戦わせるような場面は期待できず、観光客が束の間の休息を取っているだけ、一観光名所に成り下がってしまった感じは否めない。それでもここが歴史的な場所であることに変わりはない。バルセロナを舞台にしたカルロス・ルイス・サフォンの小説『風の影』にも登場する、私にとってはどうしても訪れなければならない場所の一つであった。当時の様子を想像しながら、タパスを口に運ぶ。

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日本では紅白歌合戦が行われているようだった。NHKホールから音楽の祭典がお茶の間に届けられているそのとき、私も音楽の祭典にふさわしい空間へ向かおうとしていた。カタルーニャ音楽堂。ガウディと並ぶ、いや、当時はガウディ以上に名声を博していた建築家モンタネールの最高傑作である。15時からガイドツアーを予約していた私は、時間に合わせてその場所へ向かった。

赤レンガ造りの建物は外観も目を惹かれるが、その内側には素晴らしい空間が広がっていた。ロビーから二階へと続くバラの装飾が施された階段、その階段を上ったところに位置する控室ではステンドグラスから柔らかな光が差し込む。そのガラス戸の外側、バルコニーの柱には色鮮やかなモザイクタイルがあしらわれていた。圧巻は大ホールである。天井のタイルと彫刻、そして、ステンドグラスのシャンデリアからの淡い光がホールを包み込む。舞台の壁面にも彫刻やモザイクが飾られ、まさに豪華絢爛。狭い舞台はさすがにオペラには向かないが、それ以外のどんな音楽にも対応できるという。私はこのカタルーニャ音楽堂でもう一つの歌合戦を勝手に想像していた。

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1時間に及ぶガイドツアーが終わったそのとき、日本では新しい年を迎えたようだった。私は、図らずも8時間長くなった2018年を最後の瞬間まで楽しもうと、引き続きゴシック地区を散策する。高くそびえるゴシック様式のカテドラルに圧倒され、そのカテドラルの裏、石造りの建物に囲まれた王の広場で中世の雰囲気を味わう。大道芸人を横目で見ながらランブラス通りを南下し、この通りの最終地点、コロンブスの塔にたどり着いたところで散策を終えた。

地下鉄でホテルの最寄り駅へと戻る。駅から地上に出た瞬間、サグラダ・ファミリアが圧倒的な存在感を持って迫ってくる。太陽が沈む西側を向いている受難のファサードが、夕日に照らされ橙色に染まっていた。

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ホテルに戻り、屋上からサグラダ・ファミリアを、そして眼下に広がる夕刻のバルセロナの街をのんびり眺めた。贅沢な時間である。

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晦日らしくない大晦日であった、と一日を振り返って思う。ただ、この日を無理やり大晦日らしくするための秘密兵器を日本から持ち込んでいた。

スペインでは新年を迎えた瞬間に12粒のぶどうを食べる習慣があるらしい。それは、新年の12ヶ月の幸運を祈る意味があるとか。日本人である私は、部屋に戻り、日本から持ち込んだ「どん兵衛」を食べる。蕎麦のように細く長く、「健康長寿」と「家運長命」を祈りながら。

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8時間長くなった私の2018年も終わろうとしていた。

サグラダ・ファミリア(スペイン篇1)

つくづく不思議な建物だと思う。1882年に着工し、未だなお建設中のサグラダ・ファミリア聖堂、それは「永遠に完成しないもの」の象徴のように扱われ、もしかしたら身近にある工期の長い建物がサグラダ・ファミリアに喩えられる場面に遭遇したことがあるかもしれない。例えば、柚木麻子『終点のあの子』の冒頭にも、なかなか完成しない駅に対して「サグラダファミリア」という名称が使われている。

もはや、完成してしまったら、サグラダ・ファミリアサグラダ・ファミリアたらしめているその重要な要素が失われてしまうような気さえしてくる。未完成の中にこそ完全性を秘めているような、そんな矛盾した感覚を抱いてしまうのだ。

そして私は、サグラダ・ファミリアがその完全性を有している間にそこを訪れたかった。建築技術の発展により、当初見込まれていた工期の約300年は半分の144年に短縮され、ガウディ没後100年に当たる2026年に完成が予定されている。タイムリミットが設定されてしまったわけである。W杯二回分の完成までの時間は油断しているときっとあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。脳内ではスーパーマリオのタイムオーバーギリギリの倍速の音楽が鳴り響き、私を急き立てる。いつ行くか、今でしょ!こんな言葉が流行ったのももはや5年前の出来事であり、時が流れるのは本当に早いのだ。

年末年始にヨーロッパ、そんな贅沢を味わうことに躊躇してしまってはいつまでたっても行けない、一人海外で年を越すことの寂寞感など知るか、思い切って私はバルセロナに飛ぶことにした。

かくして私のスペイン珍道中が始まることになる。

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2018年12月30日、現地時間午前7時、バルセロナ郊外のエル・プラット空港に到着したキャセイパシフィック航空の旅客機は、時差ボケと長時間移動に疲弊した乗客を次々と吐き出していた。最新鋭のネックピローを導入し、食事以外の時間をほぼ寝ることに(寝ようとすることに)費やしたはずの私も例外ではなかった。2019年へのカウントダウンを着実に進めていたはずの体が、時差ボケでバグを起こしてしまい、永遠に2018年に取り残されてしまうのではないか。入国審査でだいぶ待たされ、スーツケースを引きずる体をさらに引きずるようにして空港内を移動する。

空港から市内へ移動する方法はバスやタクシーなど様々だが、鉄道と地下鉄を乗り継いで向かうことにした。疲弊した体がどこでもドアを欲するが、ドラえもん誕生はサグラダ・ファミリア完成のはるか未来、2112年の出来事である。ていうかフィクションである。

到着したターミナル1から空港駅のあるターミナル2へ無料の巡回バスで移動する。バルセロナの日の出は8時過ぎと遅く、あたりはまだ闇に包まれていた。

10分程度かけてターミナル2に到着した時点で、空港駅から市内へ30分間隔で運行している列車の次の便にギリギリ間に合うかどうかというところ。案内板に従い、空港駅へと続く連絡橋を走った。これに間に合えば、スペインの旅が何事もなく順調に終えられるような根拠のない予感がして、スーツケースを必死で引きずる。

改札前に到着し、慣れない券売機で乗車券を購入する時間も惜しかったため、窓口に10回券が欲しい旨伝え、受け取るとすぐに改札へ、乗車券を入れ、出てきた券を取り、ホームで出発を待ち構えている列車に飛び乗った。

市内へ向かう早朝の列車は空いていて、ゆったりと座席に腰を据える。ほどなく発車し、ほっと一息ついて車窓を眺めると、私の苦労をねぎらうかのようにバルセロナの美しい朝焼けが広がっていた。

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バルセロナ郊外の素朴な風景を窓に映しながら列車は進み、約20分かけてバルセロナの中央駅に到着した。

中央駅の広い構内を地下鉄乗り場を探してさまよっているとタクシー乗り場が目に入る。もうすでにホテルの近くまで来ていることや、重い荷物を持って地下におりてまたのぼる煩雑さ、スリに遭う危険性を考え、ここからサグラダ・ファミリアの近くのホテルまではタクシーで向かうことにした。

車窓からまだ人々が活動を始める前のバルセロナの街を眺め、時折Google Mapsで現在地を確かめる。タクシーは着実にホテルへと近づいていく。英語での意思疎通がうまくいかなかったのか、タクシーはホテルの前を通り過ぎてしまった。慌てて止め、下車、数ブロックを歩いて戻ることにした。

肌に感じるバルセロナの朝の空気はひんやりとしているものの、東京で感じるような暴力的な冷たさではなく、どこか優しい。

サグラダ・ファミリアのあるアシャンプラ地区は、京都と同様、碁盤の目状に区画整理されている。その碁盤の目を例外的に斜めに走るアベニーダ・ガウディという通りに差し掛かったとき、息を吞んだ。まさか、この景色を私に見せるためのあえてのオーバーランなのかタクシードライバー。通りの向こう、雲一つない青空を背景に、サグラダ・ファミリアが屹立していた。

サグラダ・ファミリアの主任彫刻家、外尾悦郎氏は著書『ガウディの伝言』でこう語っている。

——私が好きなのは、アベニーダ・ガウディと呼ばれる通りを少し下ったところから仰ぎ見るサグラダ・ファミリアですが、ここから見ると、手前にある六階、七階建ての四角い建物群をすべて睥睨して君臨する石の怪物に見える。遠近感が狂ってしまうほどの存在感があります。

図らずも外尾氏のお気に入りの景色をこのような形で見ることになり、私は感動すると同時に、今確かにバルセロナにいるのだ、という強い実感を抱いていた。

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ホテルに到着、チェックインは午後2時なので、ひとまず荷物を預かってもらい、早速サグラダ・ファミリアへと向かった。午前9時過ぎ、まだ早い時間帯で観光客もまばらである。サグラダ・ファミリアを間近で眺め、その迫力に圧倒された。細かい装飾が施された生誕のファサードを見上げ、少し離れ公園の池を挟んで眺める。反対側の受難のファサードに移動し、生誕のファサードとは異なる冷たい石の質感を、そこから受難の苦しみを感じる。「ダーリンダーリンいろんな角度から君を見てきた」と歌ったのは桜井和寿であるが、私もいろんな角度からサグラダ・ファミリアを眺めてみる。その外観の奥深さに飽きることがない。

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年が明けてから入ることになっている内部への期待を胸に、一度ホテルへと戻ることにした。サグラダ・ファミリアを間近で見ることで束の間忘れていた疲れは、着実に私に蓄積されていた。

ロビーのソファーで休む。このホテルを選んだ理由は、サグラダ・ファミリアに近く、屋上から(そして値段が高いので指定はしていなかったが一部の部屋からも)サグラダ・ファミリアが見えるからであった。チェックイン前であるが、一足先に屋上からの景色を楽しんでみようとエレベーターで昇ってみると、朝の太陽を背景に、正に後光が射す神々しいサグラダ・ファミリアが目に飛び込んできた。聖堂のちょうど裏側に当たる、あまり見慣れない側面ではあるが、それもまた一興。ここに泊まっている間はこの景色が見放題であり、時間を変えて何度も訪れようと思いながら再びロビーへ戻る。やはり疲労感は隠せない。再びソファーに腰を下ろし、チェックインの時間まで休むことにした。

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しばらくして、ホテルのスタッフが私に部屋の用意ができたことを告げる。まだ午前中である。そして荷物もすでに部屋に入れてあるという。なんというホスピタリティ。この旅初めての「グラシアス」が口をついて出た私は、カードキーを受け取り早速部屋へと向かう。特に指定はしていなかったが、窓からサグラダ・ファミリアが見える部屋で、ここでグラシアスのインフレが発生してしまった。

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ベッドに横になる。この日、グエル公園16時入場のチケットを購入していた。体力に余裕があればその前にガウディのライバルとも言われるモンタネールが建築したサン・パウ病院を訪れようと思っていたが、ここで無理をしてしまうと今やもう病院としての役割を終え文化遺産となっているサン・パウ病院に入院せざるを得ない状況になってしまうかも知れぬ。モンタネールには誠に申し訳ない、サン・パウ病院訪問は取りやめることにして、時間が許す限り疲れを癒すことに注力した。

15時半にホテルを出て、配車アプリ「mytaxi」でタクシーを呼ぶ。以前、ドイツはドルトムントを旅行中にあまりにも流しのタクシーが捕まらないためにその場でインストールしたアプリだが、これが本当に便利で、配車依頼時にアプリ上で行き先を指定するため、運転手との意思疎通の問題はなく、清算もアプリ上でクレジットカード決済ができる。やってきたタクシーに乗り、10分ほど走ってグエル公園に到着した。

グエル公園、グエル伯爵の依頼により、ガウディが設計した庭園都市。『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家をイメージしたと言われる小屋や、ディズニーリゾートが参考にしたとも言われる大階段などを見て回る。公園内の柱には道路整備のために掘削された石が使われ、色鮮やかなベンチには不良品のタイルが使われている。エコロジーという概念が登場する遥か以前からそれに取り組んでいたガウディ、彼の建築における思想は前述の外尾悦郎氏の著書を事前に読むことでぼんやり理解していたつもりであるが、滞在中、彼の建築物を実際に目で見ることでそれを実感していくことになる。それはまた後々語ることになるであろう。

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ホテルでゆっくり休んだおかげで、広大な公園の敷地内を歩き回る体力が残っていた。公園内で最も高い位置にあるゴルゴダの丘へと向かう。多くの観光客が夕日に染まるバルセロナの街を見ようと待機していた。私もそこにとどまり、サグラダ・ファミリアとは反対の方角に沈んでいく夕日を眺めていた。

列車内で見た朝日から、このグエル公園で見る夕日に至るまでの間、僅か二か所を訪れただけであるが、一日ガウディ建築にどっぷりつかったような気がする。そんなバルセロナの初日が終わろうとしている。

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グエル公園での落陽を見届け、この日見たガウディの建築物の数々を思い返しながらホテルへと戻る。

もうこれで本日は一日出来る限りガウディの作品は堪能しつくした、と思っていたが、日が落ちた後でさえガウディは私を魅了してやまなかった。再びホテルへと戻った私を、ライトアップされたサグラダ・ファミリアが出迎えてくれた。

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こうして私の、サグラダ・ファミリアで始まり、サグラダ・ファミリアで終わる日々が始まったのである。